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岡本庄一さんとご友人
人待ち顔だった岡本庄一さん(左)の友人がバイクで通りがかり、しばらく世間話をしたあと「まあ、遊びに来いや」と坂を下っていった
 
上流域は「質実」の輝き  皆が家族みたいなもんですね


サッカーの練習をする井上晃さん
 絶え間なく流れる谷川の清水。近くの山でキジバトが2度鳴いた。遊鶴羽の谷で動くものは、風に揺れるサトイモの葉だけである。
 休日の昼前、ボールの跳ねる音がする。井上晃さん(16)が、巧みにボールを蹴り上げていた。隣の鬼北町にある北宇和高校生産食品科の1年生、サッカー部である。人口35人の遊鶴羽で一番の年少者だ。高校を卒業したら製パン工場に就職を希望している。
 「皆が顔見知りでやさしいけど、卒業したら、ここには帰って来ないだろうと思います」と、さみしいことを言う。
 晃さんの家は屋号がオモヤ。つまり、遊鶴羽集落の要である。町役場に勤める父親の一弥さん(42)は、「ここは不便なことばかりよな」と愚痴を言いながらも、愛媛県から出たことはない。
 「何じゃかんじゃ言うても長男やけん。皆知った人やし。救急車が来た時には、皆が下りてきて『どうしたんや』と心配する。 その後は、買い物や犬の散歩を頼まれたりして、皆が家族みたいなもんですね」
 地域の絆が、居心地の良さとなっていることは感じているのだ。
 オモヤでは3世代が同居である。祖父の祐一さん(72)は、生活が便利になりすぎて一生懸命でなくなった、と嘆く。
 「今、不便という言葉は当てはまらんと思うんですけどな。1軒のうちに二2は車を持って。道が通るまでは、谷の口まで蚕のマユを出すのに、大方1時間もかけて、桑カゴを担(にの)うて行きよったんじゃけんな。田んぼは、牛で鋤きよったですけんな。便利になったら、皆がいやになって、麦も作らん」
 昼食時になると祐一さんは、屋敷の木陰で、ラジオを聞きながら、嫁が作ってくれた弁当を食べるのが日課になっている。
 昼食時は遠慮しようと、下組の「逆杖のイチョウ」の脇を通りかかると、シンヤの井上年博さん(74)が、皮を剥いて干したギンナンを、棒でかき回している。均等に乾燥させるためだ。
 「来た人が、ギンナンを転がして世話することになっとるんじゃ。当番ちゅうのはないわい」
 この地区の老人クラブのルールだ。善意が前提なのである。
 
天から地から虫の声
 午後遅く、土手に座り込んで岡本庄一さん(70)が人待ち顔。
 「冷蔵庫を上げるけん手伝うてくれと電話があったけん、1時間ほども待ちよんのじゃけど、迎えが来んのよ」
 不満げに言うが、顔はニコニコしている。
 とうとう待ち人来たらずで、庄一さんは、崩れた棚田の石垣を修理するために立ち上がった。
 人の気配がなくなり、ひときわ大きく聞こえてきた虫の声に、天から地まで、取り囲まれているような気がした。
 夕日が山の端に沈んだ頃、岡本シズ子さん(65)がスクーターで仕事から帰ってきた。ヘルメットを外しながらふらふらしている。ちょうど家から出てきたオカシタの岡本實さん(61)に、独り言のように話しかけた。
 「今日はお疲れモードじゃわ。今月から介護の仕事をしよるんじゃけど、入浴介護を8人も9人もしたんよ」
 山間の農業だけでは食べていけない。一家の誰かが、町へ働きに出なければならないのだ。
 棚田を維持するのも容易ではない。冬の間に、3回は、田起こしをしなければならない。厳しい現実を背負いながらも、善意を信じ、助け合い、自然と折り合いを付けて暮らす遊鶴羽の人びとの顔は、「質実」の2文字を思い起こさせた。
 日が暮れて闇となった山の中腹から、「ヒューン」と甲高いシカの鳴き声が聞こえる。

写真と文 芥川 仁

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