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薪がはじけて火の粉が飛び、炎が踊る
煮えたぎる大釜の湯
火を囲んで繰り広げられる神々と里人の宴
南信濃・遠山郷下栗地区の霜月祭りは夜明けまで続いた
 


全身赤装束で軽やかに舞う泉稲荷
 新たに薪が投げ込まれ一段と強くなった火勢に、釜の湯が煮えたぎる。威容なる天狗の面をつけた日天(太陽の神)が、湯気にけむる釜の前に背筋を伸ばしてすっくと立つ。印を結び呪文を唱える。神仏のご加護を要請しているのだ。かまどを取り巻く氏子と見物人が固唾をのんで見守るなか、笛太鼓の音が、日天を鼓舞するように一段と高まった。
 日天が「うっ」という低い気合もろとも素手で釜の湯をはね上げた。煮えたぎる熱湯がしぶきとなって左右へ飛び散る。私の喉にもしぶきが飛んできた。一滴でも熱湯だ。火の粉がついたように熱い。
 2006年12月14日深夜。遠山郷の下栗十五社大明神の霜月祭は、面をつけた神々が次々と登場する。真夜中を過ぎて最高潮の番付、「湯切り」を迎えていた。


晴れ晴れしい祭の日。のし袋を風呂敷に包んだ里の婦人が若者に声をかける。「久しぶりだな。いい男になったな。」神事の合間に、この地区から嫁に出た娘が、幼い子どもを抱いて母親と初参りのおはらいを受けている。
 下栗の霜月祭は、12月(旧暦11月=霜月)14日と決まっている。雪に埋まった秘境の山郷で、800年近くも受け継がれてきた神聖な祭。遠く故郷を離れた下栗の出身者は、盆正月には帰省しなくても、祭の日には帰ってくるのだそうだ。
 南信濃の遠山郷は文字どおり遠い。長野県飯田市の中心部から1日3便しか通わない路線バスで、市の東に横たわる伊那山地を1時間以上かけて越えなければならない。目指す下栗地区についたときはもう夜だった。

 翌朝、雪をかぶった南アルプスの稜線の輝きに息をのんだ。下栗の集落は、尾根に広がる山里、まさに遠山郷の山のてっぺんである。

 下栗地区には、山肌にへばりつくように小さな9つの集落が点在している。人口は122人、52世帯。
 標高950メートル、地区のほぼ中央に建つ小さな神社が、氏神様の下栗十五社大明神だ。霜月祭は、神仏をあがめまつり祈りをささげる神楽。神事の中心は「湯立て」である。神々に湯浴みしていただくために湯を立て、かまどの周りで神楽歌と舞いが奉納されるのだ。
 日天のあと、月天(月の神)の湯切りを務めた祢宜(ねぎ)の仲井榮さん(72)は、たまたま祭の日と甥の葬儀が重なってしまった。
 「本来ならば、不浄がかかっていて祭には加われんのよ。甥は病人として寝かせておいて、祭がすみしだい葬式だ」
 霜月祭は、土地の歴史や連錦とした命のつながり、自然の中で生かされている命を確かめ合う。葬式や仕事よりも大切な、絆を結び直すための生命の祝祭なのである。

標高1000mの尾根に集落がある飯田市上村下栗地区





写真と文 芥川 仁
  
リトルヘブン余禄 
東京や大阪などの大都会で働く人びとの多くが、遠く故郷を離れ、孤独に耐え、厳しい仕事に励んでいる。大きな夢を抱き、故郷から出てきたものの、夢の実現はなかなかだ。そんな時、故郷の風景や両親、幼友だちが心の支えとなってくれる。
 本誌を好んで読んで下さっているのは、自らを育んでくれた美しい自然と魅力ある地域を遠く離れて、都会で暮らす人びとだ。
 飯田市上村の下栗地区は、東京都にお住まいの読者仲井勇司さん(38)の提案から取材が実現した。
 仲井さんが自慢するだけあって、霜月祭は、素朴だが力強い魅力に満ちていた。音楽家を志す仲井さんの魂の奥底に、祭の土俗的な音律の影響があることを感じた。
 次号も読者の提案によって、紀伊半島を訪ねる予定である。どんな故郷なのか、今から楽しみだ。

(リトルヘブン編集室:芥川 仁)

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