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大陽寺本堂内陣の天井画
霊山赤城峰の中腹に建つ霊符山大陽寺
伊勢・志摩一帯の漁業関係者に尊崇されている
祈祷寺一千年の伝説

栗谷 寛さん
 大陽寺は「霊符山」の名前で知られた祈祷寺です。千年以上前の988年、花山法皇が17日間、ここに籠もって祈願をされたという言い伝えがありましてな。
 もともとこの栗谷は、和歌山街道と熊野古道をつなぐ間道でしてな。紀州方面の魚や塩が、この先の湯谷峠を越えて奈良方面へと運ばれて行きました。ところが山賊が出没して旅人を苦しめる。そこで霊符神を深く信仰されていた伊勢国司・第六代北畠材親(ただちか)公は1522年、家臣の谷内蔵之助を奉行としてこの地に遣わし、守護に当たらせた。それから30年ほどして内蔵之助は亡くなり、2代目刑部太夫(けいぶたいふ)が小庵を建てて父の菩提を弔った、その庵跡が大陽寺が建っているこの場所、大陽寺の開基は内蔵之助とされております。
 栗谷地区では今も8月15日の盆踊りの前に男たちが「南無阿弥陀仏」と書いた幟を突いて内蔵之助の霊を慰める「念仏踊り」が行われていますよ。
 信長の時代、第8代北畠具教(とものり)は織田勢に暗殺されます。北畠家臣の谷一族は「谷」のままでは具合が悪いと五百年ほど前の1576年、「栗谷」と姓を変えたわけですな。うちの先祖の話です。
 大陽寺のご本尊は北辰妙見菩薩、ご神体は北斗七星。特に星の宮と呼ばれる奥の院は伊勢・志摩一帯の漁業関係者に尊崇されておりますな。春秋の大祭(旧暦3月3日、9月9日)には星祭りの祈祷や投げもちなども行われ、今も大いに賑わうんですよ。 
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発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
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