山田養蜂場 TOP
リトルヘブン
茶を飲む居間に ぬーっと牛の顔 人牛ひとつ屋根

「今日は暑いけん、水をぶっかけちゃる」
と、北村耕一さんがホースで牛たちに水をかけ始めた。

「昔は川の深いところへ連れてって牛たちを泳がせたもんやけど、そんなことするんは、ここいらでも俺だけやったねえ」

自らを“変わりもん”と呼ぶ耕一さんの家は、小馬木川に架かる小さな橋を渡ったところにある。 鮎やスナモジを釣ってよく食べたもんだ、という家の前の川は今でも十分清らかだ。

鼻輪をするまでの子牛は、自由に庭を遊ばせる
鼻輪をするまでの子牛は、
自由に庭を遊ばせる
玄関を入って、驚かされた。左手にまや(牛舎)がある。
同じ屋根の下に牛と人間が暮らすという住居形態を続けているのは、馬木地区では耕一さんのところだけになったという。
「昭和四二年にこの家を建てた時にね、まやを別棟で作ろうっちゅうことも考えたんやわ」
それまでの萱葺き屋根の家では、居間で茶を飲んでいると、牛がぬーっと顔を出した。
「衛生状態を考えたら別棟がいいんじゃろうけど、近いとこで牛を見てると、健康状態もようわかるけん」
家族は話し合いの結果、扉を一枚隔てて牛と同居するという昔ながらのスタイルに決めたのだ。

牛だけではない。耕一さん宅では、チャボが自由に歩き回っていて同居状態だ。
「卵は食べんのよ。靴箱の上とか、まやの上のほうとか、いろんな所に産んでんだわ。気づくとひよこになっちょる」
喋りながら、耕一さんが部屋を飛び回るアブをパチンと叩く。
それを土間に放り投げたら、赤い鶏冠を大きく振ってチャボが走り寄ってきて飲み込んだ。

まやの中に止まり木を作ってもらったチャボたち
まやの中に止まり木を
作ってもらったチャボたち

裏山に牛を放している間に、まやの掃除をする
裏山に牛を放している間に、
まやの掃除をする
普段は“北村班”の班長として、森林組合から請け負った山の仕事をする耕一さんが、牛の世話を出来るのは朝と夕方だ。
山から帰ると「冷蔵庫を開けるんが忙しくって、地下足袋を脱ぐ暇がねえ」くらい慌ただしく、まずはビールを一本飲み干す。
力が湧いたところで、牛の餌用の草刈りをし、まやの掃除をする。
「待っちょったなあ、ゆうと“モオー”いいよるんがたまらん」

北村家には、現在三頭の母牛と二頭の子牛がいる。
「牛の話を聞くなら、この人じゃけん」と、耕一さんが近所に住む古田川武則さん(63)を呼びに行った。

今、奥出雲町和牛改良組合馬木支部の牛飼いたちの間では、十月十一日から鳥取県で開かれる「第九回全国和牛能力共進会最終選抜審査」の話で持ちきりなのだ。
古田川さんは馬木の支部長をしている。
五年に一度の全共で馬木支部の牛が島根県代表に選ばれたとあって、皆の気合の入り方は違う。

「ありゃ、牛のオリンピックだけん」
「いんやあ、甲子園だあ」

審査の部門はいくつかあり、馬木代表は“和牛らしさ”を競う。 現在四十二戸ある馬木支部の牛飼いたちが、その牛を“美人さん”にすべく、毎朝六時から交代で磨き上げているのだ。
「バス二台で横断幕持って応援に行くけんなあ、壮行会も楽しみだわ」外で、放し飼いの子牛が田んぼの稲に顔を埋めてもぐもぐやっていた。

「しょうがねえなあ」

子牛を見守る長男の哲治さん(35)の眼差しは、さっきから話に夢中の耕一さんと同じく温かかった。
「ここより他で暮らすなんて考えたこともない」と長男の哲治さん(35)
「ここより他で暮らすなんて考えたこともない」
と長男の哲治さん(35)

文・阿部直美  写真・芥川 仁

旧横田町(奥出雲町)のデータ
●人口/7,510人(2007年8月1日)、高齢化率/40.9%(同)
●面積/189.4ku(林野率:83.6%)
●主要産業/稲作
2005年3月31日に仁多町と横田町の合併で奥出雲町に。

大原新田の棚田
大原新田の棚田

「スタミナサラダ」 TOP  1  2  3  4  5  6  7 いま、横田の町で

発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
  Photography:Akutagawa Jin  Copyright:Abe Naomi  Design:Hagiwara hironori