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リトルヘブン
望遠鏡で対岸の安否知る 吉野川源流 土佐の棚田村

36世帯の各戸に「八幡さま」
81歳ばあちゃんの日課は、
田んぼのお守りと祠参り。

小さな祠(ほこら)のある田んぼは、一番上の棚田の真ん中にある。 そこから下を眺めると、谷底に吸い込まれそうな迫力だ。 代掻(しろか)きを終えたその棚田を、笹岡富子さん(81)が見回りにきた。 一日に何度も、水の状態を見に来るのだ。 六十年前、嫁に来た時からそこにあった祠は、「八幡さま」と呼ぶ、笹岡家の先祖を祀る大切な社だ。 八畝(ようね)集落では、家ごとに「八幡さま」を祀っているが、田んぼの中にあるのは珍しい。

富子さんが、大切にしている写真を見せてくれた。女性たち八人が、早苗を手で植えている。 年老いて、女手一つで田の世話をするのに限界を感じた二年前、富子さんは「田んぼをやめよう」と覚悟を決めた。 その時、集落の女性たちが皆で田植えを手伝ってくれたのだ。 あの時は、土佐山田市に住む長男が、妻の病気入院で田植えの時期に帰って来られなかった。 でも今年は、田植えに帰って来ると約束してくれている。

長男が田植えに帰ってくる日までに、小さな田んぼは一人で植えておく
長男が田植えに帰ってくる日までに、
小さな田んぼは一人で植えておく

水を見回った後、縁側でひと休みする富子さん
水を見回った後、縁側でひと休みする富子さん
高知県の東北部に位置する大豊町は、石槌・剣山両山系が交錯し、町の中央を日本三大暴れ川の一つ吉野川が流れる。 棚田や傾斜畑を作って暮らす人たちの集落が、急斜面に点在している。そのひとつが、三十六世帯九十五人が暮らす八畝集落である。

「二十一歳で嫁に来たの。目の前に里があるんだから、そりゃあ恋しいわな」。
縁側に腰掛けて、富子さんが言う。 「ほれ、見えるろ」と指差したのは、吉野川の支流南大王川を挟んだ対岸の急斜面の怒田(ぬた)集落だ。 今は甥夫婦が住む富子さんの生家が、一番高い所に小さく見えた。富子さんが指差す先に、軽トラックがくねくねと急坂を下って行く。

「うちの子が生まれよった時には、あっちに知らせるために、竹竿の先にかまぎちゅうて藁で織った袋をくっつけて、 草屋根の上にあげて印にしよったんよ。どこの家でもやっとった。怒田で印が上っちょうと、赤ん坊が生まれたか、 誰ぞ亡くなったかって気になったもんよ」。
電話の普及で、その習慣はなくなってしまった。かわりに、今は望遠鏡を覗いてお互いの安否を気遣うらしい。
「うちの弟は、ぎっしりこっちを見よる」。
富子さんの姿が見えないと、「どこぞ具合でも悪いんか」と、弟から電話がかかって来る。

傾いた太陽が、怒田集落を照らし、八畝集落は背中に夕闇を背負っていた。ここにいると、人と人との距離が驚くほどに近い。
(二ページにつづく)

朝露に濡れた草葉の上にアリが一匹

朝露に濡れた草葉の上にアリが一匹
高知県長岡郡大豊町

高知県長岡郡大豊町

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