ここに生まれてずっと百姓 健康に暮らせるありがたさ

田植え機を下の段の棚田に移動する時は、 前後のバランスをとるために人間が重しになる	ネズミの道みたいじゃった。 どこ行くのだって、牛馬がようよう通れる細い道を歩いたもんです。 ここいら、なんっちゃ開けたもんはなかった。 だから、下の落合ちゅう集落に芝居が来よった時には、トントコトントコ太鼓の音がしてね、知らせに来るんです。 子供らはもう、行きとうてたまらんの。 うちの人に十銭ねだって、提灯下げてみんなで歩いてチャンバラを見に行きおった。 どこへ行くのも、そうやって歩いたもんです。

楽しみ言うたら、お祭りと正月やったねえ。 「あっぱいご飯が食べられる」言うたもんよ。 白い米ちゅうことよ。 その時には、板の間にわざわざ畳を敷いてね、塩鯖にみかんやりんごを混ぜた寿司なんかのご馳走も作ったんです。 祭りの中でも、豊楽寺薬師堂の祭りは、特別じゃった。 その日には、男も女も一番ええ着物を着て、皆してぞろぞろ行きよった。 ご婦人方は、帯をお太鼓に結わえて羽織を羽織ってよ、うちわじゃなくって扇子をパコパコしながら、日傘までさしおった。 夏でぬくいのによ。あっぱいこっぱいお化粧して行きおった。あっぱいこっぱいちゅうんは、一番最高のってことよ。 薬師堂は、それはすごい賑わいで警察官まで来とった。 なかにゃ、悪徳商人もおったからねえ。冷やっこうて酸っぱいイチゴ水は一杯が十銭やった。 見世物小屋に入っても十銭。うちを出る時に、小遣いを五十銭もらうから、土産のひとつも買うて帰らにゃいかん。 村にはない珍しいもん、例えばキャラメルやら梨やら。月遅れじゃったけど「少年倶楽部」ちゅう雑誌も買うて帰った。 あの頃は橋がのうて、豊永で吉野川を渡るんに、渡し舟があったんや。 小遣いを全部使ってしもうて、帰りの舟賃一銭ものうなった子供もおったんや。 ああ、まっこと楽しい祭りじゃった。お薬師さまへ行かなかったら時代遅れになる言うて、病人以外はみんなが行ったもんじゃった。

木陰で田植えの小休止。 前かがみの仕事では「背ミノ」が重宝

私ら青年の頃になると、世の中は軍国主義になっとった。 高等小学校を出て二十歳で徴兵されるまでの間、青年学校で敬礼の仕方から鉄砲の使い方まで全部教えてもろうたんです。 私ら、何も知らん幼稚園児みたいなもんやった。 徴兵で、三年間満州へ行って訓練をしました。 帰国後に結婚したら、召集令状がきた。 生まれたばっかりのこんまい子供を置いて、集落全員に見送られて「万歳、万歳」で発ちました。 終戦の時は、中国の福建省におったんです。 捕虜みたいな状態で、一年は帰れんかった。 米軍の船が九州の佐世保まで出るっていうんで、それに乗って帰ってきたんです。 子供はまだ、歩きませんでした。栄養失調やったんじゃろう。 うちだけじゃのうて、日本中が貧乏のどん底でした。 この土地で生まれて、ずっと百姓です。 戦争に行きましたけど、命あって戻ってこられた。 健康で暮らせること、何より有難いと思うてます。 信仰もせにゃあかんってことで、毎朝お大師さまに手を合わております。薬師堂の祭りへは、もう行っとらんですねえ。珍しいもんは、もうなんっちゃない。私らが子供の頃は、今の子供らよりもっとずっと楽しかったかもしれんねえ。

文・阿部直美　写真・芥川　仁

高知県長岡郡大豊町のデータ ●人口/5，311人（平成20年3月31日現在）、高齢化率/51.82％（65歳以上2，752人） ●面積/314．94ha ●主要産業/農業 　農業従事者は940世帯、林業は1,219世帯。 　町役場近くの八坂神社境内に日本一の大杉がある ●大豊町役場 　〒789−0392 　高知県長岡郡大豊町高須２３１番地 　電話 0887-72-0450 ●取材地/大豊町八畝集落への行き方 �@JR土讃線豊永駅から車で、梶ヶ森方面へ約１５分 �A高知自動車道の大豊I.C.から国道３２号線を吉野川に沿って香川県方面へ行き、 　川戸地区の長瀞橋を渡ってすぐ梶ヶ森方面へ約１５分	八畝集落の上から笹岡富子さんの棚田を望む

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