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ふるさと玉山村
猫の絵描き  高橋行雄

「霧深き 好摩の原の停車場の 
      朝の虫こそそぞろなりけり」


石川啄木が詩っている我が、ふるさと玉山村は現在盛岡市玉山区好摩(こうま)になりました。 世の流れは信じられないほどです。村は何処に行ってしまったでしょうか・・・。

玉山村は旧玉山村、藪川村、渋民村、巻掘村が合併し玉山村に成りました。

好摩の稲荷神社がある小高い山に登ると好摩駅周辺と姫神山が一望に見え美しいです。

中学生の時ここ夜更け森(稲荷山)に啄木の歌碑ができました。友達と散歩し、僕たちはこれからどうなるのかなぁと思っていました。

好摩小学校、巻掘中学校の図画の時間には岩手山が好きでよく描いていました。 岩手山は盛岡市や滝沢村からの眺めが有名ですが、渋民公園の啄木の碑を前にした岩手山、好摩の巻掘中学校校庭からの岩手山、 そして旧大台、現在の新田長坂商店(私の本家)からの眺めが美しいコニーデ形の南部富士と言えると思います。

学校の行き帰りに何時も見ていた岩手山が富士山を見るまでは一番美しい山だと思っていました。

そして岩手山と向かい合って女性的で優雅な姫神山があり、小・中学校の遠足、友達とキャンプ、蕨(わらび)とり、 そしてすずらんが一面に咲いている風景、美しく、楽しい思い出となっています。

中学生の時「北上夜曲」が流行し好摩にあった唯一の映画館で観た記憶があります。どんな内容かはすっかり忘れてしまいましたが、 北上川に掛かる吊橋(鶴飼橋)が撮影に使われて村中で話題になりました。

渋民公園の歌碑「やはらかに 柳あをめる北上の 岸邊目に見ゆ 泣けとごとくに」の詩は、ふるさと玉山村に帰る度に思い出し、泣きたい気持ちになります。

私は石川啄木と自分を照らし合わせて生き方を考えたりします。岩手県というと宮沢賢治の世界が好きな人たちが多い現在ですが、私の心は石川啄木の世界です。 啄木の詩が今の若者に共感してもらえるものがあると思います。

生きるとは夢を持ち現実と如何に戦っていくかだと思います。これが我がふるさと玉山村の人たちの生き方の様な気がします。

注:「啄木」は、キツツキの漢語的表現

たかはし・ゆきお
高橋 行雄
【プロフィール】たかはし・ゆきお
1946年 岩手県玉山村好摩(現・盛岡市)生まれ。
猫の絵を描き始めて20年、多くの猫たちを描いてきました。 ますます猫が可愛くなり、ますます猫たちを描き続けていこうと思っています。

●1976年〜86年ル・サロン(仏)入選
●1991年「AU CHAT DORMANT」パリ(仏)「GRANCE」個展 バーゼル(スイス)、「KATZAEN MUZEUM」に収蔵展示、ローザンヌ(スイス)「MUSEE DU CHAT」買い上げ
●2000年猫の美術館「KATTEN KABINET」アムステルダム(オランダ)、「Garelie Hai 」パリ(仏)個展
●2004年「GALERIE LIJN3」デンハーグ(オランダ)、「GALERIE MENSCH」ハンブルグ(ドイツ)個展
●2005年中正文化中心高雄(台湾)個展
●2007年「ATELIER VERT」パリ(仏)個展

●国内においては、プランタン銀座や大丸東京、大丸心斎橋など全国の大丸デパート各店にて個展活躍中。

読者からの便り
熱帯夜明けの朝、一気に読みました。ちょうど今時分の気候、夫と秩父へ出かけ、炎天下を松井田バス停から山中まで歩いた記憶があります。
あの風景の内側に、ここに住む方達の、こんな生活や言葉があったのですね。
自治会の草取り行事にやっと重い腰を上げる自分ですが、長く住んできた土地で、物も習慣も全ての事象に穏やかに向き合える生き方に、ほっとしたものを感じました。
埼玉県さいたま市 O・A

十八歳まで、酒田市の地図にも載っていないような戸数二十三軒の村で育ちました。
自然大好き人間です。あと十年もしたら、東京を離れて主人と二人で暮らしたい。
東京都大田区 M・Y

不思議な新聞だとまず感じた。人々の本当のふれあいや生活が、眼に浮かぶかの如く取材されている。生活がこのような毎日であれば「誰でもよかった」などという殺人事件も発生しない。機会があれば出かけてみたいと感じたのは私だけではない。 
愛知県名古屋市 K・T

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