TOP
リトルヘブン
時桜(ときざくら)
武村正義(たけむら まさよし)
1934(昭和9)年、滋賀県生まれ。東京大学経済学部 卒業。62年自治省(現総務省)入省。滋賀県八日市 市長、滋賀県知事を経て86年衆議院議員当選(4 期)。93年6月自民党を離党し「新党さきがけ」を結 党、代表に就く。内閣官房長官(細川政権)。94年 大蔵大臣(村山政権)。現在、日中友好沙漠緑化協 会会長、龍谷大学客員教授など。
 著書は「小さくともキラリと光る国・日本」(光 文社)「私はニッポンを洗濯したかった」(毎日新 聞社)など。最近は、TBS「時事放談」に時々出 演。
 今からざっと四十年の昔である。
 十八歳で故郷八日市をとび出した私は、ふたたび 八日市に帰ってきた。三十五歳であった。人口三万 人の八日市市長選挙に出るためであった。家も金も ない私は、兄貴の住む実家に寄宿して、自転車と麦 わら帽子を借りて一軒一軒あいさつの戸別訪問をは じめた。
 いよいよ選挙が告示されると、当時は「立会演説 会」が行われた。演壇に立った私は童謡の一説から スピーチをはじめた。
 “春の小川は さらさら行くよ
  岸のすみれや レンゲの花に”
 私は緊張していた。直前までスピーチをどうはじ めるか整理ができていなかった。小学校の講堂にあ ふれる市民を前にして、本能的にでてきたコトバが 童謡であった。確か歌詞の朗読のあとで、「こんな 故郷をとりもどすために、私は立候補いたしまし た」と結んだが、拍手があったのか、なかったのか さえ記憶にない。とにかくあがっていたのだ。
 私はこの町の農村部である蒲生郡玉緒村に生まれ た。ごく普通の農家の次男坊であり、子供の頃は 「兎」も追ったし、「小鮒」も釣ったし、野山で泥 んこになって育った。もちろん、春夏秋冬、子供に とってはかなりきびしい農作業とともに成長した。 真夏の炎天下の田圃の草取りは重労働だったし、秋 の稲の脱穀は、早朝の三時ごろにたたき起こされた。
 率直にいって、こうした自然や生活の環境が私を 育ててくれたように思う。私の人生観も社会意識 も、さらに政治の思想にも無意識のうちに、あの故 郷の環境が決定的な影響を与えていたのではないか。
 その後、私のたび重なるはげしい選挙で、終始支 援をしつづけてくれたのも、故郷の縁者や同窓生で あった。私の人生は文字どおり故郷の賜ものであっ た。
 
 
里人に聴く TOP  1  2  3  4  5  6  7 ふるさとの未来・田井中芽衣さんと柴田恋さん
発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
Photography:Akutagawa Jin  Copyright:Abe Naomi  Design:Hagiwara hironori