TOP
リトルヘブン
飯見は水がない所やからと嫁に来てツルハシ持って引いた簡易水道が自慢
祭りの翌朝、犬の散歩でもう一度参拝   参道に凍り付いた雪を除く大谷種一さん
祭りの翌朝、犬の散歩でもう一度参拝   参道に凍り付いた雪を除く大谷種一さん

   立春を迎えた飯見地区の公民館で、シミのついたノートや鍋、法被など祭りの道具が、日差しを浴びるようにゴザの上に並べてあった。例年にない大雪のせいで公民館の倉庫に水が入ったらしいと、昨晩、節分祭で話題になっていた。境内の片づけを終えた五隣保の四人が、倉庫の点検中だ。「おもしれえもんが見つかった」。中谷直一さん(77)が見せてくれたノートの表紙には「昭和二十六年度飯見小学校生徒会」とある。「よその柿をぼらない(取らない)こと、流行歌を歌わないこと、なんて書いてあるぞ」。子どもの丁寧な字で、箇条書きにしてある。
 「新明さんの掃除をとばさないこと、なんていうのもあるわ。掃除当番をとばすんがおったんだなあ」。今は老人会が毎月交替でやっているが、新明さんの掃除は、日曜日の子どもたちの仕事だった。水に不便していた飯見地区では、年間を通じて夜警に回るのも子どもたちの大切な役割として、現在も続けられている。

 
弾ける笑い声が境内に響く節分祭の夜
弾ける笑い声が境内に響く節分祭の夜

 「小学三年になると鈴打って『火の用心』言うてな、集落の隅々まで回りよったわ。ご苦労さんって家ん中から言われるんが嬉しかったわ」。藤原まきのさん(83)が言うと、「うちの孫も今回りよるけどな、この雪だで、休み休みになっとるなあ」と大谷幸子さん(77)。「飯見は水がない所やから、火の用心せえよ言われて、一宮から嫁に来たんだわ」
 ふたりには、忘れられない思い出がある。昭和四十九年、飯見地区の三つの隣保班が共同で、谷向こうの上流にある原有賀地区から水を引いて、簡易水道を作った。「子育てしよった頃やけどな、夕方になると女たちも皆、冬も夏も、ツルハシ持って出てったんやで」。上水道が普及した今では、調理水や飲料水の役割はなくなった。しかし、自分たちが努力して引いた簡易水道は、洗濯や風呂に使うなど愛着が深い。その心は、欠かさず続けられてきた夜警を通じて、子どもたちへ受け継がれている。

 
引原川の対岸から望む雪に覆われた飯見地区全景
引原川の対岸から望む雪に覆われた飯見地区全景

 現在、飯見地区の小学生は九人。二人一組で、十五分ほどかけて地区の主な通りを回る。八十年以上も子どもたちに受け継がれてきた鈴は、持ち手の棒が折れてヤカンの取っ手に代わっていた。ずしりと重い。自らの手で集落を築き守ってきた飯見地区の歴史の重さなのだ。

 
飯見地区略図
 
「虫の目 里の声」 TOP  1  2  3  4  5  6  7 土地の香り、家の味
発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
Photography:Akutagawa Jin  Copyright:Abe Naomi  Design:Hagiwara hironori