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エッセイ 故郷への想い / なぜか、お義父さんのイナカに懐かしさ / パンツェッタ ジローラモ (タレント・イタリア ナポリ出身)

 僕が結婚して日本に移り住んだのは一九八八年の初夏。その翌年だったろう、初めて妻の父親の生まれ故郷、福島県の会津美里町を訪れた。妻は“お父さんのイナカ”が大好きで、以前から夏休みの思い出話を聞かされていた。  イナカでは、蔵の前の小さな水路でタニシを捕って潰し、藁で作った罠に仕込み、田んぼでドジョウを捕まえた。「ドジョウは綺麗な水の中で泥を吐かせないと食べられないのよ」  お盆には墓石の並ぶ山に皆で行列を作って墓参りに行く。花とスイカと団子と線香を、それぞれの墓に置いて手を合わせてまわるのだ。「おばあちゃんが死んだ時、お墓はまだこんもりとしていたけど、翌年は平らになっていた…」  イナカでは、お風呂もご飯も薪でたく。「ご飯は凄く美味しいけど、お風呂は超危険。熱い鉄がむき出しで火傷しちゃうの」  話し出すときりがない。彼女は母親が浅草生まれで、戦争で家を焼け出されたため、イナカが唯一の自分のルーツを感じる場所なのだという。  東京から車で地図を頼りにイナカへ向かうと、会津若松から会津美里町(当時は会津高田町)に入る途中、広い川にかかる橋を渡る。義父が子供の頃「日本一長い」と思っていた橋だ。故郷を後に上京した若き義父は、いつか財を成してこの道を戻る日を夢に描きつつ長い長い橋を渡ったという。  そして僕はその橋を義父と逆方向に通りぬけ、日本の文化の未知のもう一つの顔に出合ったのだった。それは素朴で親しみ易く美しい、イタリア人の僕もなぜかほっと懐かしさを感じるものだった。  僕にも、農家だった母のイナカで過ごした楽しい思い出が沢山あるからだろうか。誰しも心の故郷には変わって欲しくない。僕の国では、失われつつある文化を救うことは開発より大切とされる。貴い文化や習慣を受け継ぎ守るのは、その土地の人々の使命だ。皆さんガンバって下さいね。次に美里町を訪ねる時、以前と変わらぬ姿で迎えてくれたなら、こんなに嬉しいことはないだろう。

 
パンツェッタ ジローラモ

パンツェッタ ジローラモ

生年月日:1962年9月6日
出身地:イタリア ナポリ
建築一家の三男として、ナポリ建築大学在学中に亡き父の後を継ぐ。主に政府からの依頼を受け、歴史的建造物の修復にたずさわる。1988年から日本在住。以降、多数の雑誌、番組などで祖国イタリアについて紹介。2006年、本国より騎士の称号「カバリエレ〜イタリア連帯の星勲章」を贈られる。

里人に聴く TOP  1  2  3  4  5  6  7 ふるさとの未来 高橋瑠貴(るき)くん8歳&光璃(ひかり)くん7歳
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