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お茶を飲みながら 松姫伝説 語り部 沼田 穣(ぬまたみのる)さん(79)
昔、沼があった所の上流は、現在も湧水が豊富でワサビの栽培が行われている
語り部の沼田穣さん
語り部の沼田穣さん
 私が子どもの頃にはドロドロした沼がまだあってね。中に浮かぶ小島に松が一本生えてたのを覚えてますよ。枯れたような松でさ、その脇には〈飛び込んで月を動かす蛙かな 両山〉と彫り込んだ石の句碑もあった。芭蕉の〈古池や〉の句とどっちが先かなって、子ども同士で喋ったなあ。
 八百年ほど前、愛川町小沢に武士団のひとつ横山党の一族小沢氏が城を構えていました。ところが幕府に抵抗した横山氏に味方したため、小沢城は鎌倉幕府軍の攻略を受けます。この時、小沢太郎の息女松姫は、侍女を伴って城を逃れたのですが、この沼の淵まで来たとき追手が目の前に迫ってくる。観念した松姫は、侍女とふたり底なし沼に身を投げてしまったそうです。
 小沢から下之街道へ下る坂を、今は「桜坂」と言いますけど、昔は「刺し坂」って言ってましてね。お供の家臣らが、この坂で刺し合って自害したと伝えられてます。憐れに思った集落のもんは、身投げをした沼の小島に、お姫様の名にちなんで松を植えました。
 ところが戦後の農地解放でね、沼が小作人の所有する田んぼになったんです。ここらでは「うたり田」って言う湿田ですがね。ある時、田の持ち主が怪我してね、その時に占ってもらったら、松姫の供養が足りないと言われたそうです。その頃にはもう、一面が田んぼになっていて、松姫のことは忘れられていたの。まあそんなこともあって、昭和四十五年に、集落の有志が集まって供養の碑を建てようってことになったんです。その後に、盛り土をして田んぼだった所が畑になったもんだから、今じゃあ沼があったことさえ分からない。だからさ、供養碑の傍に松を植えて、松姫を忘れないでおこうってことなんです。
 
 
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発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
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