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城端「曳山祭」(じょうはな)(ひきやままつり)富山民俗の会代表 佐伯安一さん(82)(さえきやすかず)
南砺市城端の東下町を行く三番山の「東耀山(とうようやま)」
南砺市城端の東下町を行く三番山の
「東耀山(とうようやま)」
 


 「城端の着倒れ」言いましてね。この町は、昔から和服にお金をかける土地なんですよ。明治四十一年に、この地を訪れた柳田國男が「城端は機(はた)の声の町なり」って一言で表しとるんです。ここから峠を越えた所にある五箇山の集落が、養蚕の盛んなところでね。あちらのお蚕が、城端で絹織物になったわけです。
 商人らは、京都の西陣あたりと取引をしておったがですけど、文政の頃、商売を広げるために江戸に行きます。着物を売って儲けて、遊ぶことを覚えたんでしょう。江戸で流行ってた小唄を覚えてきて、節は江戸小唄のまま、自分たちで歌詞をつけて「庵唄(いおりうた)」が生まれました。
 毎年五月五日に行われる城端の曳山祭は、三百年程の歴史がありますけど、最初は傘鉾と曳山の行列で、庵屋台を引いて庵唄を唄うようになったんは、二百年程前からというわけです。

 
語り部の佐伯安一さん
語り部の佐伯安一さん


 ほら、行列が通る道沿いの家に、「庵唄所望」と書かれた紙が貼ってあるでしょ。家の座敷に、着物を着たご婦人方と正装しとる旦那衆が座っておいでです。順繰りに各町の曳山と庵屋台六台が回って来ましてね、家の前で庵唄を披露するわけです。庵屋台の中には、三味線、笛、唄で八人ほど入ってるのが見えますね。所望した方々は、どこの町の唄が上手か批評しあって、家の座敷に居ながらにして料亭気分を味わえるってわけです。庵屋台の後には、ギュウギュウ車輪を軋(きし)ませて、曳山が通ります。車輪の音もまた、祭りの楽しみのひとつですね。
 祭りは商人の経済力、心意気を示すものですから、この辺りの集落は、みな競うようにして祭りを派手にしていったんでしょう。

 
 
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