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リトルヘブン

里人に聴く アズマダチには玄関が三つ 上玄関で靴脱いだことなし 農業 入道忠靖さん(79)(にゅうどうただやす) 昭子さん(76)(あきこ)
屋敷の門口まで見送ってくれた入道忠靖さんと
昭子さん夫妻

 入道家には玄関が三つある。下手に普段家族が出入りする玄関があり、真ん中は来客用、上手の玄関は「上玄関(かみげんかん)」と呼んで、冠婚葬祭の特別な時に使う。「私は嫁に来た時に上玄関から入ったけど、お父さんは一度も使ったことないんや。そやから、葬式すっ時はそっから出してあげるよ、言うとんの」。昭子さんが豪快に笑うと、「ずっと住んでおっても、一度もあっこから靴脱いで入ったことないが」と、温和な忠靖さんが応じた。
 ふたりが暮らすのは、嘉永六年に茅葺屋根として建てられ、明治後期に増築と瓦屋根の葺(ふ)き替えを施したアズマダチの家だ。砺波平野では、白壁に太い梁(はり)と束(つか)、それに貫(ぬき)を升目に組んだ東向きの切妻(きりつま)の家をアズマダチといい、富山県西部地域の民家の特徴である。散居村内に多くのアズマダチがみられるが、中でも入道家は、間口十一間、奥行き十間半と大きく保存状態も良いため、富山県の重要文化財に指定されている。

 

妻思いに姑さんやきもち

入道家の南側にある庭と屋敷を囲む杉のカイニョ
入道家の南側にある庭と屋敷を囲む杉のカイニョ

 昭子さんが嫁に来た時、入道家では水稲とチューリップの栽培で生計を立てていた。「なんせ当時は、球根植える時に定規を当てて一球ずつ手植えしとったし、掘り起こした球根を洗うんも、夜中の十二時までかかって手作業でやっておったがです」と忠靖さん。
 北海道から馬鈴薯掘りの機械を取り寄せて球根用に応用するなど、地元の農機具屋と一緒に忠靖さんは、効率良く仕事をするための新しい機械をずいぶん作った。
 「それがね、町育ちの妻のためにって、周りには言うもんやから、お姑さんが、ずいぶん私にやきもち焼いたわ」。昭子さんは困った顔をしてみせるが、内心では嬉しそうだ。隣では、張り切っていた三〇歳代を思い出した忠靖さんの目が、生き生きと輝いている。
 「それでも、農業だけやっておったんでは、この家は持ちきれんがです。家の維持には金がかかるで、三十五歳で考えましたわ。ロボットに働いてもらおうって。球根はスパッとやめて、プラスチック加工の仕事に切り替えたがです。おかげさんで、家も直せましたわ」
 入道家奥座敷の天井は漆塗りだ。床柱の前の天井板には「睨(にら)み龍」の絵が描かれている。暴れ川だった庄川上流を、カッと目を見開いて睨んでいる。

 
入道家の屋敷裏の麦畑
奥座敷の天井板に描かれている「睨み龍」
 

 「当時、加賀藩主が使うな言うておったケヤキを使って、この大きな家を建てた先祖いうのは、どんな思いやったのか。その意気込みを考えると、守らにゃいかん思うし、何とかなるもんですわ」。工場経営をしながら、忠靖さんは庄西用水土地改良区の理事長を務め、農事組合の立ち上げにも力を注いできた。根底にあるのは、先祖が築いた集落を守りたいという強い思いだ。

 
結婚した当時を思い出して楽しげに語る昭子さん
結婚した当時を思い出して
楽しげに語る昭子さん

父さんの手は働く手や

 「昔、娘ふたりに言うたの。彼氏にするなら、お父さんより小さい手の人は駄目やよって」。昭子さんが見惚れた忠靖さんの手は、分厚くて大きい。「お父さんの手は働く手や」。忠靖さんが照れてはにかんだ。

文・阿部直美
写真・芥川仁

 
 
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