磯田さんが住む五十田の谷は、すり鉢のように周囲を小高い山に囲まれている。 この谷だけで生きてきた七八年間を「すり鉢人生だ」と、彼は愉快そうに笑う。生活を楽しむ術を知っているのだ。 車庫の奥には、木株を掘り起こして磨いた飾り物が並べてあった。道の駅に売り物として出したり、来客への贈り物にする。身の周りの物を利用して、雨の日に楽しむのだ。座敷に立派なカラオケセットが鎮座していた。雨の休みには、夫婦で歌合戦が始まることだろう。観客は、イノシシや鹿である。
静かな谷間で自然を友として暮らし、日々の仕事を楽しみに変える心の技が、文字通り百姓として生きてきた磯田さんを支えてきたに違いない。
「朝起きて、この花が咲いた、あの実がなったと自分の畑を歩く。これもすり鉢人生の楽しみじゃな」
28歳で結婚して51年。子ども二人は家庭を持って、遠くで暮らしている。
「子どもらが、この山奥から学校に通うにしても大変やった。おおかた2里くらい。子どもら放ったらかして山に行っとった。塾には行くことはできなんだけど、それでも努力でかなりの者になるんやなあと、子どもら見てて思ったな」
七輪でカラカラとあられを炒っていた奥さんの和江さん(74)が、「楽しみを取らんでくれと言うから手が出せんの。手伝っても草取りくらいで…」とつぶやいた。
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山に植えている木が50種類ほどあると、磯田さんは自慢気だ

磯田和江さんがカラカラとあられを炒る |
文・伊藤直枝
写真・芥川仁 |