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台湾芋のツルをはわせるために、支柱の杭を打つ磯田増生さん
幸せというのは自分で作らんことには
他人は作ってくれん
仕事を楽しみに変える「すり鉢人生」




畑の中から出てきたカブトムシの幼虫
 磯田増生さん(78)は生まれてこのかた栗谷地区を出たことがない。
 「ぎりぎり兵隊は逃れたんですわ、昭和4年生まれで。兄が2人、招集で兵隊へ。家を守る者がおらないかんで、留守役でおったんですわ。昔からのこの土地そのものが、友だちゆうようなもんやな」
 12歳で両親を亡くし、15歳のころから家の柱として働いた。
 「人家は見えんでも、さみしいはありませんな。幸せというのは自分で作らんことには他人は作ってくれん。土地にほれるというか、そういう運命になっとるんですな」
 畑には、ジャガイモ、ブロッコリー、ネギなどの野菜やアケビ、サルナシなど野生の果実が所狭しと植えられていた。
 「トマト、タマネギ、イチゴは、わしらみたいな素人は、よう作らん。人に負けんのはクヌギくらいや」
 クヌギはシイタケ栽培の原木となるドングリの木だ。減反した水田に、クヌギを植えたのは昭和40年代後半、磯田さんがまだ50歳前のことだった。
 「クヌギ畑を鍬で起こしても、ちょっとも根にひっかからへんことに気ぃついた。ふつうの畑と同じように耕せるんや。クヌギの根は、ゴボウみたいにまっすぐな直根なんやな。これを何とか利用したろと、クヌギの下にフキとコンニャクとミョウガを植えたんや」

 台湾芋(長芋)の植え付け日だ。畳三枚ほどの細長い場所をトタンで囲み、土を盛り上げたところが台湾芋の畑である。木の葉で作った堆肥がたっぷりと入った土の表面を、磯田さんが熊手でならすと、白く丸々としたカブトムシの幼幼虫がコロコロと10匹ほども出てきた。
 「ボツボツ動いているようだが、あれであんがい動きは早いもんでな。いつのまにか上手に隠れとる。木の葉で作る堆肥に布袋さん(カブトムシのメス)がよう卵を産むんや」
 自然を友だちとしている磯田さんならではの言葉だ。 掘り起こされたカブトムシの幼虫は、彼が種芋を畝に並べている間に、土の中に姿を消していた。
 磯田さんが住む五十田の谷は、すり鉢のように周囲を小高い山に囲まれている。 この谷だけで生きてきた七八年間を「すり鉢人生だ」と、彼は愉快そうに笑う。生活を楽しむ術を知っているのだ。 車庫の奥には、木株を掘り起こして磨いた飾り物が並べてあった。道の駅に売り物として出したり、来客への贈り物にする。身の周りの物を利用して、雨の日に楽しむのだ。座敷に立派なカラオケセットが鎮座していた。雨の休みには、夫婦で歌合戦が始まることだろう。観客は、イノシシや鹿である。
 静かな谷間で自然を友として暮らし、日々の仕事を楽しみに変える心の技が、文字通り百姓として生きてきた磯田さんを支えてきたに違いない。
 「朝起きて、この花が咲いた、あの実がなったと自分の畑を歩く。これもすり鉢人生の楽しみじゃな」
 28歳で結婚して51年。子ども二人は家庭を持って、遠くで暮らしている。
「子どもらが、この山奥から学校に通うにしても大変やった。おおかた2里くらい。子どもら放ったらかして山に行っとった。塾には行くことはできなんだけど、それでも努力でかなりの者になるんやなあと、子どもら見てて思ったな」
 七輪でカラカラとあられを炒っていた奥さんの和江さん(74)が、「楽しみを取らんでくれと言うから手が出せんの。手伝っても草取りくらいで…」とつぶやいた。
 


山に植えている木が50種類ほどあると、磯田さんは自慢気だ


磯田和江さんがカラカラとあられを炒る
文・伊藤直枝
写真・芥川仁

上中木屋地区で

三重県多気郡大台町データ

平成18年1月に大台町と合併した旧宮川村のデータ
●人口/3727人(平成19年3月31日)、 高齢化率/40.9%(同)
●307.54km2(林野率/96%)
 合併前は三重県で最大の広さをもつ
純山村の自治体だった.
●主産業/林業(お茶、シイタケ)
●大台町役場宮川総合支所産業室 
 TEL0598-76-1714



 町立宮川小学校の全校生徒数は147人。このうち、栗谷地区からスクールバスで通うのは、5年生の坂本裕一くんと3年生の妹のあかりちゃん、同じく3年生の磯田樹(たつき)くんだ。
 4月15日、栗谷川沿いの中木屋集落で開催された「第1回栗谷ふれあい花畑チューリップまつり」に全員が集合した。楽しみはお昼の手打ち蕎麦だったが、チューリップまつりに集まった大人たちに気後れしたのか、栗谷川の川原におりていった。
 「夏はこの川で泳ぐんだよ。アユやアメゴ(アマゴ)釣りも大好き。将来はプロの釣り師になるんだ」と裕一くん。樹くんは「シイタケいっぱいの裏山探検も楽しい」と大きな声で教えてくれた。自然が友だちなのである。
 お待ちかねの手打ち蕎麦。裕一くんとあかりちゃんは大喜び。「お蕎麦は苦手」とつぶやいたのは樹くんだ。川原でポリポリと食べていたスナック菓子の袋がふわりと風に飛んだ。「拾っておいで」と、近所のおばあちゃんに怒られた。
 栗谷の人は誰もが、この3人を知っている。意識しなくても自然に、地域が子どもたちを見守っていることを知ったチューリップ畑のできごとだった。


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