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リトルヘブン
小雨の中、自宅近くの畑にナスの収穫に来ていた木村嘉一郎さん
 五、十四年前木村幸子(ゆきこ)さん(80)は、七キロ離れた田中という集落から桜川を越えて、嘉一郎(かいちろう)さん(80)のもとに嫁いできた。筑波山の影が濃くなる日暮れ時、ちょうちんの灯りに導かれて、この家の玄関まで来た幸子さんを待っていたのは、ピチピチと跳ねる威勢のいい鯉が二匹だった。箸を使って、二匹の腹をくっつけて並べる「鯉の腹合わせ」は、かつて集落に伝わっていた結婚儀式だ。「緊張してて箸を持てねえだっぺよな。本人はできねえってことで、仲人さんがやってくれたんだ」。嘉一郎さんが言うと、幸子さんが照れくさそうに口をすぼめてそっと言った。「結婚前、二度しか顔を見てなかったっぺ。三度目は、もう式だったよな」
 タバコ栽培、養蚕と夫婦でとにかく働いた。「そいでもな、耕作面積が狭いのに、割合と豊かに暮らせたんは、山の恩恵を受けてたからだっぺなあ」。周辺の山は、地域住民が共同で権利を持っており、自由に出入りできる。薪拾い、茅(じねんじょ)刈り、自然薯(じねんじょ)や栗、キノコなど自然の恵み。「屋敷内に植わっとる柿や栗なんかでも、誰がとっても構わないっちゅう感じだったな。勝手に手え出して、食べてたもんな」と嘉一郎さん。「納豆だって、かじってたっぺえ」幸子さんも笑う。冬の間、どの家でも筵(むしろ)に納豆を広げて、干し納豆を作った。近所に寄れば、まず庭に干してある納豆を口に放り込み「だいぶ乾いたから、もう少しだっぺ」などと、ボリボリやりながらお喋りをするのが、ここのスタイルだ。
 「家に来て、二時間は話をしていける人じゃなきゃ、来んじゃねえって言うの」。嘉一郎さんは笑うが、そんな心の余裕が、集落の暮らしを築いてきたのだ。
 「こんなん、作ってみたんだ」。ぽんと机に置かれた用紙の束に、「六所大神宮」と印刷してあった。「『でじょうさま』ってここいらじゃ呼んでるけど、謎の多い神様なんだわ」。足の悪い幸子さんに代わって茶をいれてくれながら、嘉一郎さんは部屋の奥から古文書を出してきた。「でじょうさまの祭神は、六体ってことになってるんだけどよ、最近になって近所の人が、蔵にあったこれを届けてくれたっぺ。神様の名前がいっぺえ書いてある。これじゃ、八百万の神だっぺな」
  平安期より、筑波山の祭祀を司ってきた由緒ある「六所大神宮」は、明治四十一年に蚕影山神社に合祀され廃社となった。「六所の歴史を残すことは、俺の責任だっぺって思ってる」。二十年間六所の区長を務めた嘉一郎さんだが、その足で、四十七世帯の狭い集落を歩きに歩いて見たものは、時代の変化とともに消えていく集落の歴史だった。酒香川(さかか がわ)や小鈴川(こ すずがわさかか がわ)と呼ばれていた川が逆川と間違って書き込まれた地図を見せながら悔しがる。川の名の由来も戦地へ行って還らなかった先輩方の名も、我が事として残したいのだ。
 嘉一郎さんは、近いうちに形にしたいと書き溜めた原稿の束を丁寧に揃え、その手にぎゅっと力を込めながら言った。「幸子より他の人と結婚しとったら、六所の世話をここまではできなかったっぺなあ」「ありがとね」。幸子さんが頭を下げた。

文・阿部直美
写真・芥川仁
お月見のお供えが縁側に
嘉一郎さんを54年間支えてきた妻の幸子さん
柿畑の草刈りを終えて、50ccバイクで福来みかんの畑へ移動する
「筑波七色とうがらし」
六所集落の一番奥まったところに、「筑波七色とうがらし」を作る「平石商店」はある。10月上旬、ぎっちり実った福来(ふくれ)みかんは色づき始め、平石洋子さんは容器のラベルを貼りながら収穫を待っていた。それから一ヵ月後、待ちに待った出来たて「七色とうがらし」が自宅に届く。蓋を開けて驚いた。干したての布団のような、おひさまの香りだ。もぎたての福来みかんの皮を天日で干して、そのまま潰した「旬」の七色とうがらし。原材料は、胡麻、海苔、唐辛子、福来みかんの皮。個性の強い山椒が入っていないので、みかんのさわやかな香りが生きている。口に含むと、海苔と胡麻がふわっと香る。豚バラと白菜の鍋に「筑波七色とうがらし」をたっぷりかけていただいた。ポン酢との相性が抜群だ。洋子さんひとりで作っているため大量生産はできない。

茨城県つくば市臼井地区のデータ

●人口/721人(2009年10月1日現在)
 男 357人
 女 364人
●面積/276.9 km2 
●高齢化率/28.3%(2009年4月1日)
●主要産業/農業
●つくば市役所 筑波庁舎
 茨城県つくば市北条5060
 〒300-4296
 TEL029-836-1111
●取材地までの交通
東京からの場合、つくばエクスプレス「秋葉原」から快速に乗って「つくば」まで45分間。
つくば駅近くの「つくばセンター」から、つくバス北部シャトルバスに乗車し「筑波庁舎」で下車(25分間)。
「筑波庁舎」発の1コースに乗り換えて「臼井」「立野入口」「六所入口」のいずれかで下車。
日本の道百選の「つくば道」から筑波山を望む
 
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