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園田利次さん(81)

玄関横に敷かれたゴザに、小豆や白豆がまだ半分殻を被った状態で柔らかい光を浴びていた。 干しているうちに、殻が自然とはじけて豆が顔を出す。なんとものどかな風景だ。
「春のおいたち、秋のおひまちゆうて、それが青年頃の何よりの楽しみでした。 何日も続けて仕事を休める貴重な休暇。みんなで酒を飲める日ちゅうことです」

園田利次さん(81)の自宅は、井手野公民館を見下ろすようにして高台に建つ。 すぐ裏には山が迫り、庭の畑では植えたばかりの玉葱や、納屋の壁一面に葉を茂らせるハヤトウリが元気に育っている。 井手野地区で生まれ育った利次さんは、両親の代から米や麦を作って生計を立ててきた。一九七〇年頃までは農耕用の牛も飼っていた。
「中学を卒業すれば、みんな青年団に入ったんです。 そうすると、若者宿っちゅう今で言う公民館のようなところに寝泊りするんです。 毎晩ね、仕事を終えて飯を食べたら寝るために宿へ行くんです。三十人はおったかな。 六畳くらいのおっきな布団があって、炬燵に入るみたいにして足から突っ込んで、四方から顔出してね、みんなしてそれ掛けて一緒に寝るんです。 そうやってね、夜、先輩たちから大事なことを教わったんです。礼儀作法も、何もかも」

井手野地区の青年団は、三瀬村に十四あった青年団の中でも特に規律が厳しいことで有名だった。
「体育大会っちゅうもんがあって、村の青年団同士が対抗するんです。勝ち負けがあるわけでしょ。 そりゃ、みんな頑張って練習するわけです」

園田さん宅の玄関脇で、秋の花が無雑作に咲き誇る
園田さん宅の玄関脇で、秋の花が無雑作に咲き誇る
演芸大会には、女性たちも参加した。お宮さん(玉里神社)のお堂で、演劇の練習をし、利次さんは三味線も弾いた。
「楽しみは、自分で見つけねばならないです」
農作業をし、娯楽を共にし、祭りをする。風呂も、井手野地区に三つあった男女混浴の共同風呂に入る。それが、利次さんたち地域の生活だった。しかし、農業だけでは生活を支えられなくなると、人々は村外へ出て行くようになる。ふたりの息子たちを学校へやるために、利次さんも有料道路の料金徴収所勤務など、いくつもの仕事を経験した。そして、時代の変化によって、三瀬村青年団は、昨年七月に長い歴史の幕を閉じたのだった。

「しめ縄作りを見ますか」
最近、利次さんは正月のしめ縄を自分で作るようになった。 器用な手つきで餅米の藁(わら)をなっていき、あっという間に完成だ。 同じく藁で作った亀をつけるのが利次さん流だ。 去年好評だったので、今年も三瀬村老人クラブ井手野支部主催でしめ縄作りを子供たちに教えるという。 元青年団員たちは、老人クラブのメンバーとして今でも元気に活動を続けている。次の世代に伝えなくてはいけないことがあるからだ。
実は、利次さんは二日後に東京で藍綬褒章の拝謁式を控えていた。二十三年間、選挙管理委員を務めた功績が称えられたのだ。地道に歩んできた証だ。

拝謁式の二日前、藍綬褒章を持って玄関前で記念写真
拝謁式の二日前、藍綬褒章を持って玄関前で記念写真

夕方になって、豆を干してあったゴザを畳むフジエさん
夕方になって、豆を干してあったゴザを畳むフジエさん
妻のフジエさん(73)が、豆を敷いてあるゴザをひとつずつ畳み始めた。夜露に濡れないように、豆を包み込むように折り畳む。明日の朝は、霜が降りるかもしれない。


文・阿部直美  
写真・芥川 仁

佐賀市三瀬村のデータ
●人口/1549人(2007年10月末)、高齢化率/31.2%(65歳以上483人)
●面積/40.74km2
●主要産業/養鶏(ブロイラー)・米作・花栽培
2005年10月1日に佐賀市、諸富町、大和町、富士町と三瀬村が合併し、佐賀市に。

●佐賀市三瀬支所への行き方
○佐賀駅バスセンター7番乗り場から、 昭和バスで神埼経由三瀬行き。
 (所要時間1時間9分。料金1150円)
○自家用車利用ならば、佐賀市内から 国道263号線をまっすぐ約45分。
 福岡市早良区からは、国道263号 線を三瀬トンネル(有料)経由で約1 時間。
※三瀬支所から井手野地区までは、 タクシーか自家用車で約15分
井出野地区の鬼ヶ鼻岩からは、福岡市街地が間近に見える
井出野地区の鬼ヶ鼻岩からは、
福岡市街地が間近に見える

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発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
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