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今、僕はじいちゃんの言っていたことがだんだん分かってきた。お腹の中から届いた手紙のことや、失われたもの、去って行くもの、本当は持っていたもののことが。きっと夢の手紙にもそんなことが書かれていたんだ。今となっては思い出せそうもないけど、きっとそうに違いない。分かると言っても、確かなものじゃない。うまく言葉にできない。
生きるってことがどういうことなのか、僕はこれからも考えるだろう。そして年をとったとき、僕にも最期の仕事が残されるだろう。じいちゃんが教えてくれた。命をかけて教えてくれた。じいちゃんは最期の大仕事を見せてくれた。
その日,僕が学校から帰ると、家の中は静かだった。空気の流れが止っているみたいだった。喉が乾いたし、甘いものが欲しかった。じいちゃんの梅とはちみつと魔法のドリンクが飲みたかった。でも仕方なく水で我慢した。空気が重いのは窓を閉め切っているせいだと分かって窓を開けた。ぼんやり庭を眺めていると、蝶が音もなくやってきて百合の花に止った。手前のシソの根本に、黄色に黒のしまとオレンジ色の点々がある派手な毛虫がいた。その毛虫は葉っぱの上に上ろうとして、あくせくしていた。僕はその様子にじっと見入っていた。派手な毛虫は、頭だけなら葉っぱに乗せられるけれど、残った部分をどうして良いのか分からない。しばらくそのままの格好でいたけど、考えなおすのか、頭も葉っぱから下ろした。そして死んだように動かなくなった。見ていてもどかしくなった。手伝ってやろうかと思ったけど、派手な模様が気持ち悪いし、なんとなくそのままにしておくべきなんじゃないかと思った。
急に、電話のベルがけたたましい音を上げた。電話にでるのはいつも、僕の仕事だった。もちろんほかに誰もいなかったから、僕は走って行って受話器をとった。
電話は母ちゃんからだった。«今ね、母さん病院なの。遅くなるけど待っててね»。じいちゃんに違いない、僕はピンと来た。
この日のことはよく覚えている。それまでで一番不安で寂しい夜だった。
じいちゃんが入院してから二、三ヶ月後のある日曜日、病院へお見舞いに行くと、じいちゃんはますます小さくなったみたいだった。僕たちが病室に入ったとき、じいちゃんは寝ていた。夜になって、目を覚ますと、小さな声でぽつりぽつり話し始めた。
«ああ、じいちゃん幸せだった。じいちゃんは、いっつも足りていると思っていた。みんな一緒で、充分すぎるくらいだった»
«苦しいことも悲しいこともあったけど、楽しいことのほうが多かった»それから父ちゃん母ちゃんを順番にそばに呼んだ。
«今まで世話になったなあ»とか言うのが聞こえた。
僕も呼ばれた。寄っていって、口元に耳を近づけた。
«こうちゃん、どうもありがとう»じいちゃんは、ささやくように言った。«ありがとう、ありがとう»って言い続けた。
だんだん、言葉少なくなっていった。外でやもりが鳴いたような気がした。
じいちゃんは時々、苦しそうに大きく息を吸った。長い夜だった。
父ちゃんがじいちゃんの手をさすっていた。母ちゃんがそのとなりで泣いていた。息がだんだん細くなっていくのが分かった。僕はじいちゃんが本当に死んでしまうのだと分かった。のどに何かがこみ上げてきた。こらえきれなくて、涙が出て苦しかった。また、今度は間違いなくやもりの鳴き声がした。僕はちらっと窓のほうを見た。ベッドに目を戻したとき、じいちゃんの次の呼吸はなかった。
はちみつをなめると、じいちゃんを思い出す。やもりがわらう夜、じいちゃんがちびのことを思い出したように、僕も少し悲しい気持ちになる。そんなとき目をつむり、あお向けになると、口の中に懐かしい甘い味がひろがる。
僕にはまだ、じいちゃんのようにははちみつのドリンクを作れない。でも子供が産まれて、そのまた子供が産まれる頃には、僕にも例のちょっとの魔法が分かるだろう。そしたら美味しいドリンクを飲みながら、足の上にちびを乗せてはなしをしてやろう。じいちゃんが僕にしてくれたように。
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