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リトルヘブン

虫の眼里の声鍛冶屋の飛び火で二度の火事、そのたび屋敷は山を登った。

「うちは、ずっと前は、もっと下に建ってたんですわ。今、新聞受けがあーとこに水車小屋があったけんねえ、そん脇に家が建っとったんですわ」
蔦川家で大きいばあちゃんと呼ばれるマスコさん(81)が、まるで最近のことのように話し始めた。
今は高台に建つ蔦川家だが、以前は、下の渋田さんの並びに建っていたという。
「渋田さんちのあたり、昔は鍛冶屋があったんですわ。ところが、鍛冶屋の火の粉が飛んできて、うちが燃えたんだわあ。 そいで、もっと上に家を建てたら、また火の粉が飛んできて火事になりおった。だから、また上にあがったんよ。こげな高いところに家を建てたわけさ」
火事のたびに山を登った茅葺き屋根の蔦川家
火事のたびに山を登った茅葺き屋根の蔦川家

蔦川綾音ちゃん(5)は、今から下の家へおでかけだ
蔦川綾音ちゃん(5)は、
今から下の家へおでかけだ
今はもう面影はないが、大馬木地区では江戸時代中期まで「たたら」と呼ばれる製鉄所が栄えていた。
「鍛冶屋は、見たことなんてねえよ。だって、もうずーっと前のことだもの。ここに嫁に来た時に話に聞いたんよお」
裏山へ続く小路に、角の取れた古い墓石が並んでいる。マスコさんが鍛冶屋と呼ぶたたら製鉄所で死んだ男たちの墓だ。 お盆には、そこにオミナエシの花が供えられていた。
「おらひとりで働いたんじゃねえ、家族の協力があってこそじゃけん」
と、渋田さんがお茶を飲みながらぽつりと言う。 小峠で暮らす人々は、みなが照れくさそうに家族の話をしてくれた。小峠の谷は、冬、深い雪に閉ざされる。 夏の豊かさからは想像できない冬の厳しい暮らしが、家族を思う気持ちを育くむのかもしれない。



肺に支障があっても毎日バイクで遊びに出かける内田矗さん(80)が、柿の木陰で昼寝を楽しんでいたところを驚かせてしまった
肺に支障があっても毎日バイクで遊びに出かける内田矗さん(80)が、
柿の木陰で昼寝を楽しんでいたところを驚かせてしまった

文・阿部直美 写真・芥川 仁

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発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
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