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リトルヘブン
坂本一郎 さん(84歳)

猪やハクビシンを捕獲するために仕掛けた罠だったが、成果なし
猪やハクビシンを捕獲するために
仕掛けた罠だったが、成果なし
じっとしてらんねえ性分で
雑草一本ない十五アール

「警察はさ、スピード違反とっ捕まえてねえで、猪の一匹くれえ捕まえてくれねえかな。猪の鼻は、 ツルッパシみてえなもんだ。芋を掘り起こすわ、筍だって顔出す前に掘っちまう」
猪の話になると、 坂本一郎さん(84)の鼻息も荒くなる。猪だけではない。猿にハクビシン、鹿、カラス。上からも下か らも狙われるから、一郎さんは畑のまわりに柵を立て網で囲い、それでも毎日気を揉んでいる。収穫直 前が、要注意だ。
大正十二年生まれの一郎さんは、「おらあ、じっとしてらんねえ性分だから」と言う通り、一日のほ とんどを畑で過ごす。雑草ひとつ生えていない一五アールの畑には、胡瓜やトマト、茄子などの夏野菜 が整然と並ぶ。出荷する日は、朝四時起きで野菜を採って、選別、袋詰め作業をし、車を運転して農協 へ持って行く。この地域で「朝っぱか」と呼ぶ、朝食前の一仕事だ。「女房が生きてた時は、ふたりで 一緒にやったから、ちっとは楽だったいな。死んで二、三年っつうもんは、両腕をもぎ取られたみてえ な気持ちだったけど、この前七回忌を無事に終えたんさ」。同居している長男家族にはそれぞれ勤めや 学校があるので、一郎さんは一人で畑を守り、自分のことは自分でやるを信条にしている。

「昼間はいつもひとりだから、のん気でいるような忙しいような。ここで飯食って、ちょっと横にも なって、書きもんもしなきゃなんねえ」
一郎さんが過ごすのは、土間に作られた掘りごたつのまわ りだ。下駄箱を開けると、靴やサンダルと一緒に郵 便物や書類が入っていた。
「農協に出荷する時、紙にいろいろ書かなきゃなんねえの。ほら、見てみ い。わしの生産者番号は8142番。葱は533番 だ。葱なんて言わねえで、533番って呼ぶんだい な。いつ植えたか、肥料はどうしたかっつうことも 書かなきゃいけねえ」
一郎さんは、また下駄箱を覗き込む。 「人様に見 せるようなもんじゃねえけどな」
照れくさそうに 取り出したのは、一冊のノートだった。
「息子が さ、日記くれえ書かなきゃ駄目だっつうから、面倒 くせえけど書いてんだ」
そこには、毎日の営みが 丁寧に書かれてあった。

以前は養蚕室だった納屋の天井裏には、使わなく 
なった竹細工のカゴが幾種類もきれいに
揃えてしまってある
以前は養蚕室だった納屋の天井裏には、
使わなくなった竹細工のカゴが
幾種類もきれいに揃えてしまってある

ナスの手入れをする坂本一郎さん。撫で回すように
手入れされた畑には一本の雑草も生えていない
ナスの手入れをする坂本一郎さん。
撫で回すように手入れされた畑には
一本の雑草も生えていない
「トマトくれ、って書いてあんのは、人にくれて やったっつうことね。お礼を心配する人には、悪 くってくれらんねえからな」
毎晩、焼酎の発泡酒割りを一杯飲みながらこのノートを開く。 暑い日だったとか、肥料をやったとか、内容は簡潔だ。
「孫の直哉は変わった子でよ、大学に通うんで朝早くに家を出んだけど、『じいちゃん無理すんでね えよ』っちゅうて行くんだ。おらあ、孫のために仕事してるようなもんだいな」
家の軒下に、収穫したばかりの玉葱が転がっていた。 「長ネギだと思って植えたんに、玉葱だったんよ。いやあ、参ったね。笑っちゃったね」
背中を丸くして、くっくっと笑う一郎さんは子供のよう だ。一郎さんの語る言葉は、どれもが生活に密着し た喜びや驚きについてで、聞くものを引き込んでい く。
夕方、一郎さんはやっぱり畑にいた。

文・阿部直美  写真・芥川仁

埼玉県秩父郡小鹿野町のデータ
●人口/14,424人(平成20年4月)
●高齢化率/26.1%(平成17年)
●面積/171.45ha
●主要産業/(平成17年)
 第一次産業の割合 6.4%
 第二次産業 46.7%
 第三次産業 46.8%
●小鹿野町役場
 〒368-0192 埼玉県秩父郡小鹿野町小鹿野89
 TEL:0494-75-1221
●取材地/小鹿野町長若地区への行き方
 西武池袋駅から特急レッドアロー号で西武秩父駅ま で約80分。
 西武秩父駅から西武観光バスで長若地区の入口にあ る松井田バス停まで約40分。
 後は徒歩で。
秩父盆地のシンボル武甲山(1304m)が、雨上がりの布沢集落から霞んで見える
秩父盆地のシンボル武甲山(1304m)が、
雨上がりの布沢集落から霞んで見える

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