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高遠情趣の鷹匠のものと言い伝えられている墓石
 

野牧源吾さん
 この下に住んどる甥の家に、500年前の墓があってな。信濃の高遠城主の鷹匠だった人の墓で「牧野」とある。家紋は「野牧」のわが家と同じ、「鷹羽違い」。
 昔、ここらには鷹がたくさんおった。つかまえた鷹を養成して高遠城主に納める。そういう仕事をしていた人がいたんだな。
 兵隊におるとき、早稲田大学で姓名学を研究していた人と一緒になった。彼が、「野牧」という姓はにありえない、と言ったことがありましてな。戦争中のことではあるし、いつ死ぬか分からん身。深くたずねることもなく終戦になった。戦後、こちらに戻って五百年前の「牧野」の墓を見つけたわけだ。
 以前、文部省の次官が村へ調査に来てな。この先に大野という集落がある。次官が言うには、赤石山脈を越えてきた人が大野に住み着いたのが下栗の始まりではないかと。大野には子安様というお社がある。そこに納められた古書から推測したんだな。姓は、胡桃澤と牧野が古いようだと。
 どこで「牧野」が「野牧」になったかを考えてみるに、明治時代、役所は木沢にあったんだが、昭和五年の大火で戸籍も何もかも焼けた。新しく戸籍を作り直すときに間違えて、逆にしたんですな。だから、全国に「野牧」という姓は、下栗にしかない。
 その時分は、筆をねぶりねぶり書いたやつを届けるわけだから、字がにじんで消えることもあったろう。こんな山ん中から、わざわざ役場まで出かけて戸籍を見る人もいねえし、見る必要もない。「牧野」が「野牧」になっても生活に関係ねえもんな。
 ただ、これだけは言える、もしどこかで「野牧」という姓に出会ったら、その人はこの下栗から出たんだと。

 

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