
玄関を出たら左手に見える冠雪の聖岳

祭先日に、しめ縄つくりを手伝う三郎さん
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「ここに居ると年寄りでも仕事を作るでね。死ぬまで畑に出て、草とったりして。自分の生きる場があるんだね」
自然と共に生きる大切さをさらりと言葉にしたのは、下栗地区自治会長の胡桃澤三郎さん(64)である。下伊那郡上村(かみむら)が一昨年10月に飯田市と合併した後、初めての選挙で地区住民全員の中から選ばれた。
七三に分けて刈りあげた髪型と渦巻き状になった度の強い旧式メガネが誠実な人柄を漂わす。
自宅玄関前から正面に見えるのは利剣山(1971m)。左手には紺碧の空に、高潔な印象を与える聖岳(3011m)の冠雪した姿がそびえている。
「毎日見ている景観ですが、日本人が富士山を見るような、多少誇らしい気持ちもありますね」
自らを育んだ景色を胡桃澤さんが自慢する。
昭和17年生まれの胡桃澤さん。中学校を卒業するとすぐに、伊那市のカメラ店に就職した。
「何もかもまごつきましたね」と、街で3年間を過ごすうちに父親が亡くなり、下栗へ帰って17歳離れた長兄が営む養蚕を手伝うことになる。
子どものなかった長兄の養子となって必死で働いた。「蚕は桑を喰うけど人も喰う」と言われるほど厳しい仕事をこなして3年目。再び転機が訪れる。村役場職員に空きが出て就職することに。
「まさか41年も居るとは思わなかった」と本人は言うが、「ぜひと望まれた」役所勤めである。収入役まで上り詰めて、三年前に退職した。
彼が役場に出ている間、40度も傾斜のある畑で農業を支えたのが、妻の三枝子さん(59)だ。昭和四六年、当時は車道のなかった下栗へ、雪の中を耕運機の荷台に乗って嫁に来た。
「鍬に引っかかるだけの土を、上にあげるわけですから根気よくやらんとね」
一雨ごとに流れ落ちる土を、一鍬ずつかき上げて耕す。そんな厳しい労働が、霜月祭で表出した激しく芯の強い下栗の気風を作ったのか。 |