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リトルヘブン
小高い杉山と台地の境にある竹林に干されたイカンテ
霜の降りた5月中旬の早朝、畔道に残っていたタンポポの綿毛が凍っていた。
遠くに大歳神社の鎮守の森が見える
庭先を、三羽の蝶がくるくる舞っていた。「可愛いでしょ。ウスバシロチョウって名前でね、氷河期の生き残りらしいの。幼虫の食草はムラサキケマン。ほら、足元の」乾いて黒褐色になったゼンマイを袋詰めしていた中江三恵子さん(71)が、作業の手をとめてムラサキケマンを教えてくれた。
「卵が見つかるんじゃないかと思ってね、白い皿の上で葉っぱをふってみたこともあるのよ」。三恵子さんは広島市内から嫁にきた。標高八〇〇メートルの盆地で、冬は四か月も雪に閉ざされる生活。 慣れない農作業も辛かったが、三恵子さんは生活の視点を変えた。
自然観察講座に参加して、鳥や花の名前を覚えるうちに、八幡高原が貴重な生物や植物の宝庫だと気付く。「今では、蛙だって触れるの。望遠鏡で、向こうの山のお花見もできちゃう」。笑顔の先に、もえぎ色の苅尾山(別名・臥竜山一二二三・四m)があった。
ウスバシロチョウ
ショウガの味噌漬けを持って徳永アイ子さん(右)が遊びに来た
新川ため池の堤防でオニヤンマのメス
康子さんへお隣の柳屋(屋号)から花のお裾分け
カキツバタの沼で、
草取りをする岩田和美さん
苅尾山の山道で、カエデの花
西の新屋の倉の角にある
カエデの巨木
尾崎谷湿原のショウジョウバカマ
 
二〇〇五年の四町合併で広島県山県郡北広島町に編入された元芸北町の八幡高原は、西中国山地の中で最も標高の高い盆地だ。「辺りが雪でまっ白になる頃なあ、お宮さんの木に、渡り鳥が来るんだわ」娘婿の積さん(60)が運転する田植え機に苗をセットしながら、岩田雪美さん(79)は、すぐ横の大歳神社を指さした。わずかに小高くなっていて、浮島と呼ばれる鎮守の森だ。
小さな田んぼの集まりだった西八幡原地区三島集落の水田は、この地域で最も早く行われた二十六年前の圃場整備事業で、効率よく機械を使うことの出来る大きな田へと変わった。「なんぼ土地を改良してもな、人間の力で土作りまではならんのよ。わしは一町六反の田を持っておるが、お宮さんの前の田は、特別だ。昔っから、ここは必ず健全な稲が出来よる」田植えの終わった雪美さんの水田に、お宮さんの森がきれいに映えていた。
文・阿部直美
写真・芥川仁

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