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リトルヘブン
小雨や曇りが続く梅雨空のひと時、杉林の中から太陽が差し込んだ瞬間に、草むらのクモの巣に付いた雨滴が宝石のように輝いた
小雨や曇りが続く梅雨空のひと時、杉林の中から太陽が差し込んだ瞬間に、草むらのクモの巣に付いた雨滴が宝石のように輝いた
オカトラノオにとまっているマメコガネ
郵便配達は、集落の中で本人を見かけたら
直接渡す
ひん死の状態にあるモンシロチョウ
「マーフィが、おとついの夜から戻ってこんのよ」。
藤田キクエさん(81)が、自然薯畑の草を抜きながら、視線を遠くの草むらに向ける。「水蕗の植わっとるあたり、お墓さまのまわり、マーちゃんが行きそうな所は全部を見て回ったけどな、どこにもおらんのよ」。そこへ、近所に住む江端喜代子さん(77)が通りかかり、「わても、一日中歩いて探しよったけど、おらんわ」と、肩を落とした。
キクエさんの飼い犬マーフィが行方不明だ。
集落の人たちは、「熊かもしれん」と、集落を取り囲む杉林を見ながらため息をつくのだった。
ショウガの味噌漬けを持って徳永アイ子さん(右)が遊びに来た
畑仕事を終え、軽トラックで自宅に帰る藤田さん夫婦
ウドの畑に付いて来たマーフィ。この後で行方不明に
面積の九割が山林という、福井県東南部に位置する今立郡池田町。冠山(標高一二五六・六m)を水源とする足羽川が町を縦断し、川に沿うように小さな集落が点在する。足羽川支流の一つ金見谷川沿いの金見谷地区は、高齢者ばかりの十一世帯。かつて、家族が一丸となって杉を植え、田を耕してきた人々も、今では都市に出た子どもたちが、時折訪ねて来るのを楽しみに待つ毎日だ。
  「お宮さんの下の銀杏に、熊が二頭おったことがあっての、マーちゃんが木の下からぼいて(吠えて)山へ追い返したんや。隣の治郎兵衛さん(屋号)が、窓から懐中電灯を照らして見てたっちゅうんやな」「ほうじゃ、あん時は感心したなあ」。隣接する千代谷集落に住む江端ミヤ子さん(75)が、お喋りの輪に加わった。 なついたマーフィのために、いつもちくわを持ち歩いているが、この日は、ちくわの代わりに、赤く熟したスモモを持ってきた。
三人は、公民館の前に腰掛けてスモモをかじりながら、マーフィを思う。お互い全部知っていることを、また繰り返しては頷きあう。そんなふうに、人生のほとんどを共に過ごしてきたのだ。  
二〇〇六(平成十八)年、足羽川ダムの建設が決定し、金見谷と千代谷、大本の三つの集落がダムに沈むことが決まった。当たり前のように積み重ねてきた日常を物語る風景が、やがて無くなる日がやってくる。
文・阿部直美
写真・芥川仁

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