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志藤勝幸さん
志藤勝幸さん
椹平棚田の世話役 志藤勝幸(しとう・かつゆき)さん
1949年山形県朝日町生まれ。左沢(あてらざわ)高校卒業と同時に農業後継者となる。
現在、水田4ヘクタール、りんご園約1ヘクタールを耕作。
台湾生まれの晴美さんとの結婚は山形の海外花嫁の火付け役となった。
椹平棚田保全活動推進委員会会長。

このへんは水さ少ないとこで、昔は沢の水が流れ込むあだりに古田がちょぼちょぼあるぐらい。あとは桑園やたばこ畑だっだ そうだ。戦時中の食糧増産で開拓しだんだよ。 村に残っていた年寄りと動員された中学生たちが冬仕事でトンネル掘っで、上の春日沼から水を引いた。水は一滴もムダに しねえよう、集落の下にトンネルさ通して、もっと下に開田されだ田んぼさまで待っで行っでる。今は朝日山系の沢から 直接引いてっけどね。

田植えは、手だと一日一反は早いほうだったね。そんでも大きな田んぼさ、植えるの大変だった。おれが高校を卒業しだ ごろから機械化が始まったこともあっで、歪んだり小さかった田んぼを自分たちの力できちっと四角に作ってきたんだ。 隣の田んぼと交換したりして。今は機械さ入るから田植えも一日で終わる。家族全員のちょっとしたお祭りだな。

夏の田んぼは仕事は草刈りと水の管理だ。今、イネは分けつ期で成長の最中けっども、七月さ入ると水さ落として田んぼを 乾かし、成長を抑えねばなんね。実つきを良くするためだ。乾いた田んぼのひび割れから酸素さ入れて根に活力つくっため にね。水がなきゃなにもできね。

百選に選ばれて見られることが多くなっだせいか、以前より田んぼに出る回数が増えで、百姓のおれら自身が自分の田んぼ をよぐ観察するようになったね。よその田んぼの具合も見える。ほがの人が何をやっでるかも見ゆっから、畦道さ歩いて 行っで情報交換しだり世間話する機会も増えだ。

棚田の水が一箇所に集まる排水路あたりにゃ今でもホタルさ飛んでるんだが、もっとホタルを増やそうと仲間で話し合っで るとこだ。

地元の小学生たちが棚田のこと勉強して「何か手伝わせてください」と言ってくることは多いよ。だども田植えや稲刈りの 手伝いは頼まね。それはおれたちの仕事だし、何が起こるか分からねっからな。この前は田んぼのゴミ拾いさしてもらった だよ。

棚田はおれたちの生活基盤だ。水利費も反当たり一万円以上と高い。だからこれからは、日当たりがよぐっで土に粘りが あり、東北アルプス朝日山系のきれえな沢の水を引いでいる強みを活がし、減農薬・減化学肥料など作り方にこだわっだ 椹平ならではのコメを棚田仲間で作っていくつもりだ。コメは魚沼コシヒカリと同じ特A、山形生まれの『はえぬき』だ。 うまいよ。

「夜明けの水国」メモ 「夜明けの水国」メモ
日本人の主食だったコメの消費量はぐんぐん落ちている。私自身、何日もコメを食べずに過ごしていることに 驚くことがある。体が慣れてしまった食習慣はなかなか変えられない。それが農家の人々を追いつめ、減反に つながり、ひいては日本の山河と環境を破壊すると言われると、甲斐性なしの胃が痛む。
2003年、27戸の棚田耕作者とNPO、行政などが一体となり「椹平棚田保全活動推進委員会」(代表 志水勝幸、会員約150人)が 結成されている。
今年初めて中学生以上を対象に「椹平棚田保全隊員」を募集したところ、東京などから50人を超す申し込みがあったという。 隊員は棚田での各種農作業、草刈り、農道・水路などの維持補修、地域環境や景観保全等の活動にかかわり、活動内容に 応じて農産物と交換できる「棚田チケット」がもらえるシステムだ。
棚田耕作者には迷惑でも、せめて田んぼのあたたかい水、足の指をくすぐる土の感触や風の匂いに浸って心と五感のサビを 落とし、農業後継者の未来に思いを重ねたいと願う私たちとって、棚田は「道場」なのかもしれない。
今年6月、全国公募の第一回「美の里づくり」コンクールにおいて農林水産省農村振興局長賞を受賞した椹平の棚田。 9月に開催される東北子どもサミット(東北農水局主催)では、山形県代表として朝日町立西五百川(いもがわ)小学校 6年生による椹平棚田の研究と学習内容が発表される予定。

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発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
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