越後会津の境に四〇〇年
阿賀野川の流れのように
絶えず続く伝統のお練り
カンカンカーンと軽やかに響く鉦の音が、小さな集落に「鍾馗様がお通りだ」と告げている。
「なんまいだあ、なんまいだあ」
声を合わせて男たちが鍾馗様を担いで回る。 体に不釣り合いの男性シンボルを持つ藁人形に、沿道で見守る人々から笑みがこぼれた。
「そら、元気をだしてえ、なんまいだあ」
二・五メートルに及ぶ鍾馗様は重い。 町役場の職員など集落の外から祭りの手伝いにきた若者たちが、担ぎ手を補う。
「なんまいだあ、なんまいだあ」、掛け声が板についてきた頃、出発した平瀬公民館に到着。 そのまま、鍾馗様は公民館前のお堂に納められた。
「なんまいだあ」と鍾馗様が練り歩く
お経の続く中、親しみの会話を小声で交わす
新潟県阿賀町は、二〇〇五年四月に鹿瀬町、津川町、上川村、三川村の四町村が合併して誕生した。
飯豊連峰から流れ出る清流が、阿賀野川の豊かな水量を支えている。 福島県境に位置するここは、かつて会津藩の統治下にあり、文化的に多大な影響を受けた。 津川からいくつものトンネルを抜けて、阿賀野川を上ると十八戸の集落「平瀬(びょうぜ)」である。
「俺が結婚して二、三年後に阿賀野川の橋ができたんだわ。それまでは、渡し舟だけだあ」
町議会議員を務める波田野泰博さん(60)は、渡し舟で日出谷(ひでや)小学校へ通ったひとりだ。
「冬は風が強いから大変さあ。こっち岸から向こう岸にロープを張ってさ、船方はそれにつかまりながら向こうへ渡ったんだわ。 横から大波がくっから、おっかねえの。高学年の生徒たちはさ、船方の足元で艪を漕いで舟を操ったんさ」
波が荒く、舟が出ない日もあった。そうなると平瀬の子供たちは、集落の公民館で自習になる。
「ところがさあ、うちは親父が『休むんでねえ』っつうもんだから、磐越西線の鉄橋を渡ったんだよ。 親父が、帯紐で俺の体をぐるぐるに巻いてさ、俺は怖いから四つんばいになって、ふたりして鉄橋の上を歩いて渡ったんだわ」
渡し舟の船方は、平瀬集落の各戸で持ち回りだ。 厳しい自然の中で、人々は助け合いながら生きてきた。 今、平瀬に子供はいない。 藁人形の鍾馗様作りは、年を追うごとに人手不足で大変になる。 それでも、春を告げる鍾馗祭りを、平瀬の人々は心待ちにしているのだ。
(次ページにつづく)
大風の日、四つんばいになって渡った磐越西線の鉄橋
鍾馗祭の終わった翌々日、
平瀬集落は久しぶりの大雪に包まれた
新潟県東蒲原郡阿賀町
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「越後会津の境・阿賀町」2
発行:
株式会社 山田養蜂場
編集:(C)リトルヘブン編集室
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