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父親の33回忌の墓参りを済ませて帰路に着く竹上雅章さん。写真中央は長男の茂さん |
雪の中から頭ひとつ突き出した大根の列を目指して、竹上雅章さんがゆっくりと長靴で歩く。「キャベツもどっかに残っとるんじゃが、わからん。雪ん中で縮こまっておるんじゃろな」。凍りついた土の中から一本ずつ引っこ抜いた大根五本は、波賀町内四校の給食になる。雅章さんは五年ほど前から、ねぶか(葱)やキャベツを中心に、季節の野菜を給食用に納品している。
「野原小学校からな、野菜作りを教えて下さい言われて、話をしに行きよったこともあるんやで。次の年は料理はどうじゃろってことで、桜寿司したんじゃ。丹波の黒豆を入れて炊いたご飯に、合わせ酢を入れちゃると、ぱーっとご飯が桜色に変わってなあ、子どもらが大喜びしとった」
雅章さんが、ノートを開く。「家のことなんかひとつも関係ない気分でな、農業のことばっか書いとる」。その日誌帳は、息子のお嫁さんからのクリスマスプレゼントだ。もう十数冊目になる。野菜の成長、使った農薬や肥料のこと、一月に小学校でお好み焼きを作ったことも丁寧に記してある。つけるのは、夜遅い風呂の後だ。夕食後も出荷野菜の袋詰めをする夫を、妻の砂子さん(76)は心配しながら見守っている。「農業が好きなんじゃろね。自分らの食べる分を、ぼつぼつやるくらいでええと、私は思うんじゃが」
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宮守の役を無事に終え、地区の皆へ挨拶をする雅章さん |
三軒隣りから嫁に来た時、砂子さんはまだ十九歳で学生だった。「五月の田植えも済んでな、里で休んでこいよ、言うちゃったです。何しろ、バスにも乗らずに帰れるんやからええわな。ところが一か月しても戻ってこん。そろそろ戻れやって、迎えに行ったんじゃで」。雅章さんが、当時を思い出して笑う。「家はやっぱりえかったね。寝ても寝ても寝られよる。母親が驚いとったわ」と砂子さん。雅章さんと祖父、父、弟の男だけが四人で暮らす家に嫁いだ砂子さんは、家事を切り盛りするのに必死だった。「私は、家のことを何も知らんでな、それこそおじいさん(雅章さん)がえらいめにおうちゃったと思うわ」と振り返る。
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