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リトルヘブン

里人に聴く ほろ酔いで文机に向かい日記を付ける半世紀 / 田中善雄(たなか よしお)さん(86)

薪ストーブの傍で、舟打鉱山で働いた青年の頃の話を聞かせてくれた田中善雄さん

 高等小学校を卒業した田中善雄さんは、十歳代後半を、当時、沢田集落から六キロほどの山中で操業していた舟打(ふなうち)鉱山で過ごした。鉱山で働いたのは、沢田の同級生五人のうち善雄さんだけだ。
 「おらは、山ん中掘るんでねぐって選鉱場で働いたの。穴ん中で発破かけた鉱物を、トロッコで持ってきたらな、まず機械で砕いてよ、ベルトコンベアさ乗せるの。茶色っぽい石が亜鉛、青っぽいねずみ色が鉛でな、見ればすぐ分かるんだ。それ以外の石をガラって言ったんだどもよ。コンベアさ乗っかってるガラ見つけて投げる(捨てる)んが仕事だ」
 全盛期には千人近くが暮らした舟打鉱山に、沢田集落の人々は、りんごや塩漬けにした蕗(ふき)やワラビなどを売りに行った。昭和三十七年に閉山した鉱山跡地には、環境保全のために木が植えられた。「選鉱場探したけど、平らにならしちまって、はあ、分がらねえ」と善雄さん。
 沢田集落を流れる作沢川には、ヤマメやイワナが戻ってきた。

雪下ろしをする善雄さん

粉雪が舞う中、独りで黙々と薪小屋の雪下ろしをする善雄さん

今日は部落でうさぎ狩りを致しました

 善雄さんが、手のひらに載る大きさの色あせた日記帳をひと抱え持ってきた。
 「おらあ、三十歳代から付けてんだ。終戦後、二十二歳で結婚して、田んぼとりんごやってさ、冬は炭焼きだ。出稼ぎにも行ったよ。秋から春まで名古屋さ居て、道路だのトンネル工事をやったびょん」
 出稼ぎに行く時も、喘息で入院した時も、日記帳は必ず傍らにあった。善雄さんの記録は、沢田集落の暮らしの記録でもある。平成二年二月四日の日付には、「今日は部落でうさぎ狩りを致しました」。平成二十一年十月二十五日は、「今日は一日中王林りんごのもぎ取りを致しました」。丁寧で短い言葉遣いの中に、善雄さんの一日が凝縮されている。「夜、清酒の白梅をコップに七センチくれえ入れてな、ストーブの上さでちょっと温めて飲むんだ」。ほろ酔いで寝床につく前、文机に向かって日記を付ける。寝室に置いたサボテンや、芽が膨らんできたヒヤシンスを眺めながら、ゆっくりと一日を締めくくるのだ。
 翌日の昼過ぎ、善雄さんはりんご園の端にある薪小屋の雪下ろしをしていた。腰の高さまで積もった雪にスコップを突き刺し、すくい上げては下の河原へ落とす。トタン屋根から足を滑らせれば、片側は作沢川が流れる急斜面だ。
 「この小屋さ雪下ろすんは、もう二回目だびょん。この分だと、春までにもう一回だな」。息があがると、雪の上に腰をおろし休憩する。薪小屋のほかに七十本ほどのりんごの木の雪下ろしもある。
 「そろそろりんごの木の剪定だ。もう芽が膨らんでくるしな。ただよ、猿とウサギが芽を食っちまうから困るんだ」
 真っ白の雪に覆われたりんご園の片隅で、善雄さんは独り黙々と雪を下ろし続けた。

文・阿部直美
写真・芥川仁

  • 文机

    善雄さんがほろ酔いで日記を付ける文机

  • 毎日付けてきた日記帳

    半世紀の間、毎日付けてきた日記帳の一部を見せてもらった

 
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