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エッセイ故郷への想い 津軽弁の巡査役で有名に / 鈴木 正幸(俳優)

 それは偶然でした。函館から大阪へ向う飛行機が青森上空へ差し掛りました。十年程前の秋のこと、雲一つ無い空から、故郷を見る事が出来たのです。八甲田山、岩木山、弘前の町、懐かしの相馬村、白神山地、嗚呼あそこ、あそこで育ったんだね。頬を窓に付けて食い入る様にして見た。
 我が故郷相馬村。涙が溢れて止まらない程に、四方を山に囲まれた小さな村。父親が、鉱山のトラックの運転手でした。この相馬村で育った事が、自分の運命を左右する事になるのです。豊かな自然の中で様々な事を学びました。山菜取り、茸取り、栗拾い、野兎、テン、山鳥の罠を仕掛けにスキーで山に入る。腰に付けた母親が作った味噌焼きにぎりまんまを食べた。リンゴ畑に入って摘み残しのリンゴを、ストックで落として食べるリンゴの旨いの何んの。
 相馬川沿いにトロッコを押して、白神山地の分水嶺の滝壺で尺イワナとの格闘。獲物のイワナを積んで、トロッコのブレーキの音を軋ませて、麓の村目指して一気に下る、あのスリル。カーブでは、トロッコと一緒に川へ飛ばされて、歓声をあげたトロッコ遊び。四季折々の自然の中で学んだ動植物の生態。山に掛る雲や風の流れで天候を占った。山菜や茸を採集する場所。イワナ、鮎、ハヤの潜む場所。罠の掛け方など様々な事をガキ大将から教わりました。そんな悪ガキどもを村の人達は、そっと、やさしく見守って下さいました。
 昭和三十九年、青雲の志を胸に、オリンピックに沸く東京へ夜行列車で上京して今年で四十八年。三年B組金八先生のドラマで、津軽弁の巡査役で有名になれたのも、相馬村で育ったから。故郷相馬村に助けて頂いたのです。
 現在は、栃木県那須町に在住しておりますが、段々と故郷に近くなって来ました。鮭が故郷の川を溯る様に、故郷を旅立って半世紀近くなるのに望郷の念、深まるばかりです。
 かけがえの無いもの、故郷。本当にすばらしいものです。

鈴木 正幸 (すずき まさゆき)
鈴木 正幸 (すずき まさゆき)
(株)オフィスPSC
昭和21年3月19日青森県中津軽郡相馬村生まれ。
趣味はバドミントン・料理。1965年〜1971年 劇団世代。1971年〜1975年 商業演劇(新宿コマ・芸術座)(日生・宝塚劇場)。1975年〜テレビ・映画等に進出する。
《テレビ》NHK「草燃える」「マー姉ちゃん」「いのち」「蒼天の夢」「本日も晴天なり」「望郷」「居酒屋」「どんど晴れ」「天地人」他/TBS「加奈子」「新八先生」「仙八先生」「貫八先生」 「3年B組金八先生」「そこが知りたい」他/NTV「春いちばん」「ニュースプラスワン」/TV朝日「アフタヌーンショー」「モーニングショー」/東 映「はぐれ刑事純情派」「子連れ狼」「八丁堀の七人」/TV東京「土曜スペシャル」「いい旅夢気分」
《舞台》「3年B組金八先生〜夏休みの宿題〜」明治座。吉幾三奮闘公演「人情喜劇 母の子守唄」新歌舞伎座。吉幾三公演「十六代目 婿養子」中日劇場。
《ラジオ》FM青森「エネルギー刑事 スーさんが行く」
 
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