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宮崎県最大のため池籾木池の岸辺から水面を望む |
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自作の小さな熊手で、ムラになった千切り大根をならす福田優さん |
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「今年の切干し大根は、高値がついちょるよ。でもな、農業は何が良くっても規模拡大じゃのう
て、輪作のローテーションよ。米作ったその土地で何か作るっちゃ。その上でな、牛を飼うんが夏
のボーナス、千切り大根が冬のボーナスちゅうことだ。給料取りは三十日で良いけど、農家はな、
三百六十五日のこと考えて消費設計を立てねばならん」優さんは早期水稲をこの地域で最初に取り入れた。
八月には米を収穫出来るので、同じ土地で大根の裏作が可能になった。
「そん頃な、福田は水泥棒じゃって言われたわ。ところが、今はみんなが早期水稲に切り替えて、大根を輪作しちょる。早期水稲の方が、むしろ水がいらんのよ」
水不足に苦しんだ地域ゆえ、足並みを揃えずに早期水稲を始めたことを非難されたのだ。先駆者ゆえの苦労だろう。
「だけどよ、農業はいいっちゃよ。自由だ。食うもんは自分で安全な物を作れる。家だって、土地があるからそれなりの家が建つ。衣だってよ、総理大臣と同じもん着ちょるもんな」
西の九州山脈に陽が傾く頃、甘い香りの漂う千切り大根の棚の前に、優さんの姿があった。生産性を高めて満足できるまでになった田畑を息子に
譲り、一線を退いた優さんの表情は明るい。
文・阿部直美
写真・芥川仁 |