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リトルヘブン
布田さん、気許して裃忘れる 
土日曜日は正午に放水する通潤橋
お茶を飲みながら

 私が養子に来た渡邊家の五代前に、半左衛門って先祖がおりました。今で言う役所勤め、矢部郷惣庄屋の布田保之助さんの部下だったとです。
 布田さんは矢部郷の開発に情熱を注いだお方で、橋や道路なども随分作りよったが、渓谷に囲まれて水の乏しい白糸台地に何とか水路を引けないかと頭を悩ましておりました。六キロメートル離れた笹原川の水を引き、五老ケ滝川の谷を越えて台地へ水を流すにはどうしたらええか。ある時、壊れた雨樋から水が吹き上がるのを見て、布田さんは連通管の原理を思いつき、吹き上げ式の水管橋「通潤橋」作りが始まったとです。橋に水を通すのに、木管じゃあ水圧に耐えきらんから石管がええっちゅうことを、布田さんと一緒に泊まりこんで実験をやりよったんが、先祖の半左衛門でした。
 「南手新井出記録」とある古文書が我が家に残っておって、石工の技術がいかに優れておったか、地元農民の労力がいかほどだったか、詳細が書かれてあっとです。

渡邊克也さん
渡邊克也さん

 実は、家を整理しておったら裃が出てきたとですよ。渡邊家の紋でなか。布田さんのでした。誠実でお固い人だって皆言いよりますが、人間そればっかじゃおれんし、うちで酒を飲んだ時には気をば許して、裃を忘れて着物いっちょうで帰られたんかなって思うとります。布田さんが通らす時には、みんなが道に出て土下座しよったって話もあります。
 白糸第一尋常高等小学校の校歌は、校名が出てこんの。布田さんの功績ば称える歌です。それほどに、地域の人は布田さんに感謝しておりますけんね。
 通潤橋の用水によって拓かれた田んぼは、約百十八ヘクタール。先祖たちがどぎゃん思いで田を作りよったか。橋ができて百五十六年経った今、再び見直していかねばと思います。

【編集室注】 一九六四年に同じ場所にヒューム管が新設され、通水量も倍増して白糸台地へ送水している。国の重要文化財に指定されている通潤橋は、現在、先人の郷土愛と石工技術の象徴として、観光資源に活用されている。

 
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発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
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