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リトルヘブン
 

 阿蘇の外輪山にある盆地の矢部町(現山都町)で、私が育った昭和三十年、四十年代は戦後の経済成長期でした。この静かな町で、自然に囲まれて育ってですね。それが、私の土台を作ってくれました。日本は経済大国になりましたけれど、人々が行き詰まっているような気がします。体の健康は言われますけど、心の健康の方がもっと大きな問題と思います。素っ裸になった時に、内側が輝く人間になることが大事。私は常々そう思っています。
 昭和四十年代の矢部町の生活は貧しいですよ。だけどね、目が輝いていましたよ。明るい笑顔がありました。そしてね、子どもたちの輝く瞳の奧にね、希望とか、夢がありましたよ。
 小学生の時でした。ある日曜日に、年上の友だちから誘われて、釣りに行ったんですね。朝早く、残り飯を自分で塩おにぎりにして。両親が起きる前に家を出て。緑川上流の山奥まで行って、夜遅く帰ったんですよ。家に帰ったら誰も居ない。三台あるトラックのうち二台がない。そのうち私を捜し回っていたと言って、父親が帰ってきたんです。じいさんがね、「怒るな、怒るな、怒るな」ってね。三回言いましたよ。親父もぐーっと感情抑えてね。「お前、親の立場になって考えてみろ。朝起きたらいない。昼飯も食いに帰ってこない。どこへ行ったか分からない。暗くなる。どう思うか」と。いやーっ、申し訳なかったなと思いましたね。
 現役時代には色紙を求められると、「闘魂」と書いていましたが、今は「挑戦」と書きます。夢への挑戦。可能性への挑戦。私は過去を振り返るのが好きじゃない。未来を見据えて、今に全精力を集中していく生き方が好きで、幾つになっても夢を追って生きていきたいと思っています。
 二○三連勝という前人未踏の記録も同じだったと思います。過去に世界で何勝しようが、興味を持たなかった。これからの試合を考えて、柔道家として目指している理想を求めていました。
 いま、私が故郷に帰ってくる理由は両親が居るからです。私が両親と暮らしたのは小学校を終わるまでですが、私の故郷は両親の中にあります。(談)

 
エッセイ 故郷への想い / 貧しくても瞳の奧に夢があった / 山下泰裕(東海大学体育学部学部長)
山下 泰裕(やました やすひろ)

一日署長として故郷の山都町を訪れ、子どもたちと交流する山下泰裕さん

山下 泰裕(やました やすひろ)

1957年熊本県上益城郡矢部町(現・山都町)生まれ。東海大学体育学部学部長、学校法人東海大学理事・評議員、全日本柔道連盟理事などの現職。全日本柔道選手権連続9年優勝、世界柔道選手権95キロ級3回連続優勝、世界柔道選手権無差別級優勝、ロサンゼルスオリンピック無差別級優勝などの戦歴を残し、1985年203連勝にて現役選手を引退。国民栄誉賞受賞、紫綬褒章授章など受賞歴多数。「黒帯にかけた青春」「楽しい柔道」「勝負の瞬間」など著書多数。
 
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