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リトルヘブン
里人に聴く 生まれた時から幼友だち二軒先から嫁に来て今も二人でネコボク広げる
仏壇に飾る菊を庭から摘んできた後藤文子さん
熊本市内に住む長男の政文さんが、子どもと孫を伴って土曜日に一泊で帰省していた
熊本市内に住む長男の政文さんが、子どもと孫を伴って土曜日に一泊で帰省していた

 「セイショウコウさん(加藤清正公)の時代のごつ古かあ」と、後藤文治さんが言うのは、十年前に中古で買った赤いトラクターだ。話もできないほど大きなエンジン音で、ゆっくりと冬鋤きの作業をする。毎年七十俵の米を作る文治さんの田んぼでは、農薬をほとんど使っていない。
 「昔は、田にドジョウがようけおったばい、竹を二つ節んとこで切って筒状にしよってな、真ん中にひとつ穴開けち、味噌入れち、田に沈めておいたっですよ。竹ん筒にぎゅうぎゅうするごつ捕れよった。ふた晩泥を吐かせとってな、たぎった湯ん中ん入るっと、ドジョウはバタバタ暴れよる。それを汁にしたり串で焼いて食べよったとです」

棚田の畦にヤマジノギク
棚田の畦にヤマジノギク

 今もドジョウは見かけるが、痩せて小さく数も少なくなった。
 「前は、ドジョウにしろ饅頭にしろ、食べることが何よりの楽しみだったとです」  妻の文子さんは料理上手だ。熊本市内に住んでいる長男夫婦が、農繁期には毎週のように帰ってくるので、栗と小豆を煮て待つ。白菜や蕪が植わった庭先の菜園で、葉についた虫を捕まえるのが文子さんの日課だ。「植え終わってから毎日、どぎゃん太ったか見るんが、私の一番の楽しみですたい」
 文子さんは二軒先から嫁に来た。この屋敷で生まれ育った文治さんも、白石地区を出て暮らしたことはないし、そんなことを考えもしなかった。

牛の神様のお札尻に敷き酔っぱらった年の子牛は鼻黒で安かですたい
トラクターで冬鋤きをしている途中で休憩する後藤文治さん
トラクターで冬鋤きをしている途中で休憩する後藤文治さん

 夫婦には、忘れられない思い出話がある。
 「昭和三十五年頃と思うな。牛を三頭養うとったけん、毎年一月十五日には、下矢部の「大日っさん」(大日如来)にお参りに行ったとです。牛の神さんだけんね。あん年は雪が降ったけえ、街で一杯飲もうかねって友達と飲むうちに、店をはしごばしよったとですよ。大日っさんのお札は尻ポケットに敷いたままですたい。帰る頃には、膝上まで雪があるけんね、酔っぱらっとるし」
 横で、文子さんが思い出し笑いをしている。
 「子どもらが玄関ば座って、父ちゃんの帰ってこらっさらん言うて、ワンワン泣くですたい」
 「親父ば怒らして、子どもば泣かして。もうしませんって謝ったっばい。そん年に生まれた牛は、何とまあ鼻黒だったつばい。肥後牛は赤牛ですたい。鼻黒は安かです」
 文治さんが照れ隠しをするように大声で笑った。
 「今でもまだ、牛ば養うとる夢ば見っとよ。牛に餌ばやっとらんと、あせるとたい」
 かつて馬屋だった所に殻の被った小豆がネコボク(むしろ)に広げてある。文子さんが姑と一緒に藁で編んだネコボクは、小豆や茶、米などを包んできた。
角がすり切れているネコボクが、文治さんと文子さんの汗と涙の歴史を物語る。

 
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発行:株式会社 山田養蜂場  編集:(C)リトルヘブン編集室
Photography:Akutagawa Jin  Copyright:Abe Naomi  Design:Hagiwara hironori