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リトルヘブン

地域の未来 安念颯大(あんねんそうた)くん登校に40分、下校は1時間
宝物の石を見せる安念颯大くん

宝物の石を見せる安念颯大くん

 安念颯大君(8)は、毎日、田んぼの脇を歩いて砺波市立庄南小学校に通う。「歩いとると、緑とか茶色のカエルがおる。前に捕まえた時、投げたら1年生の顔にぴたっと張り付いたの。よけろー言うたんに、突っ立っとるんだもん」。笑うと、颯大君の目が三日月みたいになる。
 颯大君が今一番気になるのは石。「この前、庄川で拾ってきた石、見るぅ」と、家の裏手へ案内してくれた。両親が営む料理店で使う酒の一升瓶ケースの上に、おにぎりみたいな三角形やマーブル模様など、大小の石が並ぶ。「これは見た目は変な色なんやけど、濡らすといい感じになるよ」。細長い黒石を足下で打つとカーンと音がした。「この前、学校に行く時、いい石見つけて隠しておいたんやけど、場所を忘れて持って帰れんかったあ」。
 登校には40分だが、下校には1時間かかるというのも頷ける。颯大君の足下には、幸せのタネがいっぱい転がっている。

読者からの便り
 家の近くに蜂を飼っている農家がありました。巣の中の板を円筒形のブリキ缶の中で回すと、蜜が一升瓶の中へ滴り落ちます。それをじっとしゃがんで見ていました。時には、巣の口の所をナイフで切ったのをガシガシ噛んで、口がだるくなったのも思い出します。当時のおじさんも、蜂も居なくなって、近代的な家並みです。
岡山県岡山市 F・E(75)
 昨年、愛妻を亡くし、すっかり気落ちしています。病床の妻が、私に、今際のさいに故郷(山口県萩市)へ連れて帰ってと泣きながら言いました。今もその言葉が耳に聞こえてきます。リトルヘブンを読んで元気な方々を見ると、涙が出てとまりません。
大阪市住吉区 M・H(61)
 私が結婚して大阪に来るまでは、住所に大字小字のつく田舎でした。京都市内で働いた時、いじわるな先輩から「この人、大字小字の里の村から毎日通ってくんねんと」と、職場で言われたものです。でも私は、その里の村で育って良かったと思っています。京都市内へは電車に一時間乗れば通えるのに、本当に自然が豊かで、写真のような「いごもり祭り」という炎のお祭りもありました。
大阪市生野区 M・M(56)
 私は、新潟県の山奥の部落で生まれ、冬は雪が五mくらい積もり、毎日、雪の中で遊んでいました。二月になると、友だちとウサギ獲りをする為、針金で輪を作り、ウサギの通り道にセットし、翌朝早く、ウサギの仕掛けを見に行くのが楽しみでした。
東京都葛飾区 O・M(56)
 「リトルヘブン」を読むと自然の中にいる有り難さや心の平穏を感じます。都会のような刺激はないけれど、田舎でなければできない生活や食べ物の記事。その生活を受け継いで今があり、だから、そこに住む人も、穏やかな笑顔なんだなと思います。
 「けの汁」は、福岡にある「だぶ」に似ています。東京から移り住んで、「だぶ」を教えてもらって家でもよく作るようになりました。 「だぶ」にゼンマイやワラビは入れませんが、母が新潟出身でゼンマイやワラビの煮物を作っていたのを思い出し、懐かしくなりました。
福岡県福岡市 N・H(40)
「リトルヘブン」紙が届くと、一旦わきへ置いて、家事が終わってから、コーヒーを入れ、ゆっくりと楽しみながら読みます。載っている記事は、まさに『楽園の日々』であり、日本にも魅力的な地域が沢山あることを教えてくれています。
東京都練馬区 H・F(60)
 田中善雄さんの手は、二十年前に天国へ旅立った母ちゃんの手にそっくりです。泣けました。主役の方が、おじいちゃんおばあちゃんで、ほっとしたり懐かしかったり。
 青森県へは北海道に行く時、通り過ぎるだけでした。七十歳になるまでには、一度行きたい。絶対に。
東京都品川区 K・K(67)
リトルヘブン余録

 広々とした砺波平野に人影はない。田植えをしている家族に出会えたのは、安念則夫さん一家だけ。夕方、田んぼの水管理に来ていた飯田浩資さん(58)に聞くと、ほとんどの農家が農事組合に加入し、家族で田植えをするのは稀だと言う。一枚の田んぼが三十アール、農家は高齢化。機械を大型化し、法人で経営しなければ、農業は成り立たないのだ。
 「農業で食べてはいけない」と、取材先でよく聞いた。取材の際、出していただく地域の米や漬け物、野菜は、町では味わえない美味しさと安心がある。なぜ、これで食べていけないのか。そんな素朴な疑問や腹立たしさを抱えながらも、六年間が過ぎた。
 始まりは山形県朝日町。リンゴの花咲く時期に、まだ形の定まっていなかった季刊新聞「リトルヘブン」を模索する取材だった。「幸せの日々」を訪ねる旅の始まりだ。
 毎号、取材地を歩き回ることから始める。そこで出会った方が、最初の取材先だ。知名度のない小紙に対し、どこでも快く取材に応じていただいた。取材は、地域の皆さんに助けられたということだ。
 今、私の手元に千二百三枚の手札判の写真がある。実際に撮影したのは、三万枚ほどになるだろう。二〇〇六年初夏の創刊号から二十三号までに撮影した写真だ。里の人々の農作業や笑顔。その里人を取り巻く自然。そして、自然の中で輝く昆虫や草花の小さな生命。普通に暮らすことで醸し出される豊かさが、浮かび上がってくる。六年間で歩いた日本の里の偽りのない今だ。
 実は、季刊新聞「リトルヘブン」は本号で終刊になる。取材で訪ね求めてきた「幸せの日々」とは何だったのか。胸に手を当てて、六年間を振り返ると、自然と共に暮らすことで身に宿る「誠実さ」こそが、「幸せ」の核心だったように思えてくる。
 小紙の取材と編集では、読者の皆様の声が何よりも励みとなり、指針となりました。六年間のご愛読ありがとうございました。

リトルヘブン編集室
 
(リトルヘブン編集室:芥川 仁)
芥川 仁 オフィシャルサイト>>>
 
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